ブランドづくりは一人称

片平 秀貴

『「あなたは誰のために働いているのですか」・・・中略・・・
ドイツのバイヤスドルフ社会長のロルフ・クーニッシュ氏に,私はそのように尋ねてみた。株主,会社,社会・・・・・のためと言うのだろうか,などと思いながら尋ねたのだが,返ってきた言葉は思いもよらないものだった。「ニベア・ブランドのため」-これが答だったのだ。』これは㈱花王名誉会長常磐文克氏の著書『知と経営』(ダイヤモンド社刊;1999)の中の一節である。

読者の皆さんはこれが相当変わった経営者のケースかとお思いかもしれないが、私が1996年から1998年にかけて、ネスレ、ナイキ、メルセデスベンツ、ジョルジオアルマーニといった世界の強いブランドを預かる経営者たちにインタビューしたときにも、皆からひとりの例外もなく同じ趣旨の言葉を聞いた。そのときの驚きとショックは今でも忘れられない。その真剣な姿は経営者というよりは行者とか伝道師のそれに近いものがあって、なぜか、私は中,高時代に終業式の度ごとに「・・生らしい品位を保て」と叫びつづけていた戦前派の教頭の姿を思い起こした。

ここ一二年日本でも多くの大企業の経営者たちが「わが社もブランドをつくる」と宣言して「ブランド・・・室」なるものを発足させているのは周知の通りである。今までのところそのような即席ブランドづくり運動がうまくいっているという話を聞かない。それらに共通する原因はいくつか考えられるが、一番はっきりしているのは、経営者に「ブランドをつくり育てたい」という内発的動機が欠落していることである。その動機は「隣の企業が始めたから」から始まって「企業価値が高まるらしい」というのまでさまざまだが、ブランドを強くすると・・・という点でいいことがあるらしい、という助平根性が見え隠れしている。

Eビジネスであろうとリアルビジネスであろうとブランドづくりの基本は,「こんな顧客たちにこんな思いをしてほしい」という熱い志である。・・・のために、というのはブランドには似合わない。上に述べたように、すべての強いブランドは、私が本音でこうしたい、という一人称の思いから始まっている。

ビジョンより数字,顧客より上司,現場より本社という20世紀型エリートサラリーマンの生き方はブランドづくりにとっては天敵以外の何者でもない。「私のビジネスの基本はおもてなしの心」と語る銀座伊東屋の伊藤高之社長は、先日お話を伺ったときにポツリと小さな声で「工業社会の経営者の方々には「ブランド」とか「のれん」という考え方は馴染みにくいのではないでしょうか」とおっしゃった。エリートサラリーマン・モデルに別れを告げて新しいチャレンジをはじめようという勇気ある人々にとって,一人称の熱い志はスタートアップの資金と同じくらい重要なものである。

(この文章は日経ネットビジネス2002.4.25.に掲載されたものに、加筆・修正したものです。2004年2月にアップロードされました。著作権は著者にあります。)


ご意見・ご感想

ご投稿日:2004年04月7日
お名前:匿名

最近、産業材でもブランドは新鮮なテーマです。
これまでBtoB企業の辺境(変わり者/出世を諦めた)でひっそり行われていた企業広告やブランドが一躍脚光を浴び、本社エリートに剥奪されつつあります。
その手法はどの位資金を投入したら知名度が幾ら上がり、結果ブランド価値がいくらでランキング何位になるか?という安直にして老練経営者の名誉を擽る、善意と浪費のレンガで敷き詰められています。
資金を広告代理店の鼻先にぶら下げ結果を競う醜いレースに、醜悪な売春広告で対応する構図です。
そこには、暖簾も屋号も銘柄も存在しなく、先人の汗や重圧・尊厳も見当たりません。
この汚らわしい人たちがブランドを汚し、立ち去りまでおそらく数年はかかります。次の手法が輸入されるまで。
SRCはその兆しかもしれません。


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