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片平さんの話は毎回同じようでいて、バージョンアップというか新たな視点が加わっているので、いつも感心させられます。 正に「定番+驚き」ですね。
今回のアジアについて、日本ブランドのプレゼンスが低いのは、確かにおっしゃる通りで、あこがれの対象としての欧州ブランドだけでなく、中間層に手が届く実用品のブランドでも韓国・台湾・香港などが台頭しており、今まで高級ブランドとしてのイメージを確立出来ていない日本メーカーは苦戦あるいは負けている、と言えます。 ただ、自動車・バイクについてはまだ品質・信頼性の面で神話が残っている、と信じたいですが・・・。
いずれにせよ、日本は戦後の高度成長期に「雁行型発展」と称してアジアのリーダーを自認していましたが、慢心している間に気が付くと団子状態の集団に飲み込まれ、目指すべき方向まで見失っているかのようです。
しかし一方で日本人の特長(温和、親切、協調性、忍耐強さ、勤勉、高い識字率、etc.)は世界から尊敬されており、これは「好きな国」ランキングで上位に挙げられている事からも自信を持って良いと思います。 その反面「謙譲の美徳」故にアピールが下手で、グローバルなコミュニケーションに欠かせない英会話力も(本当は結構実力があるのに)劣ると思い込んで、会話の輪に入れないという負のスパイラルに陥っているのではないでしょうか。
これから世界の成長センターであるアジアでブランドを再構築するためには、どなたかが言われてたように「日本人ではなく、日系アジア人」としての自覚をもって、企業という組織の一員としてではなく、一人の個人として振る舞う気概が必要なんだと思い至りました。
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抜かれてるというのかどうかよく分からないけど、勢いづくASEAN vs. 必要以上にうつむき加減のJapanって感じは確かにありますね。朝、新聞でパナがTV撤退模様の記事見て、世界シェアは圧倒的にSamsung, LGが占めてるのに驚いたばかりだったし。
なんか空気が淀んでて、勢いが出ないんですよねー、我が身を振り返ってみても。こういう時こそ「おもてなし」「チームワーク」細部へのこだわり」だと分かっちゃいるんですが、この3点セットって、やってる仕事の対象が好きでたまらない/楽しくってしょうがないからこそ、発揮されるんじゃないかと。陳さん、もう料理するのが楽しくてしょうがない、こだわるのが嬉しくでしょうがない、だって彼女のためだもの!って湧き出してますよね。ここんとこ対人・対物とも、こういう気分になったことがない気がする。ちょっと欝気味かな、ヤバ!
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・講演内の短い時間では、ストーリーが腹に落ちなかったので、自社におきかえて、自部門におきかえてといった視点で資料に再度目を通してみます。
・余談ですが、国分寺周辺のトイレは、3K(臭い・暗い・汚い)とのことですので、営業面で重点エリアと位置付けておきます。
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現在広報部署に所属しておりますが、先生のおっしゃった「好意と尊敬」「やる気と誇り」「仲良く」という言葉が、強く印象に残りました。同時に、「確かにそこだ」と実感をする場面がいくつも浮かんできて、自社の横串をいかに通すか、その役割を広報が担うことの必要性など、考えさせられました。
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・最近知人が「新しい市場のつくり方」という本を出版し、売れ行きが良いそうです。そこで彼は、ウォッシュレットの成功を文化の創造ということで説明しています。片平さんもよくご存じのTOTOのことであることは言うまでもありません。私も桜新町のラボにも伺い、大変興味深いものでした。
さて、今から10年数年前、私の義姉が或るホンダのディーラーを訪ねた時、(他にも優れた応接などがあったのだと思いますが)トイレがウォッシュレットであることにいたく感激して話してくれたことを思い出します。
けれども、最近こういうことが有りました。
ディズニーランドやディズニーシーのトイレはウォッシュレットが設置されていません。また、私の家人(女性)は、外の便器でウォッシュレットは気持ち悪いので使用しない、と言っています。
また、先日スカイツリーに行き、トイレを使用しましたところここにはウォッシュレットが装備されていました。が、偶々だとは思いますが、使用法がわからない人達が使用したのかどうか、かなりの惨状を呈していました。
昔々、50年近く前、有名なコラムニストが文芸春秋にゴルフ場の西洋式便器の便座が傷ついている話を書いていたのが未だに忘れられません。西洋式便座に使用の仕方が俄か成金の「オジサン」には分からず、スパイクで便座を傷つけたものと推定し、いったいそんな不安定な格好で良く用を足せたものだと書いていました。
・若いことは良いことですし、余計なことを気にしない、つまらぬ過去は気にしないことも大事な一面ではあります。
けれども現実は或いは「現在」は過去の積み重ねの上に成り立っています。未来は現在までの過去の積み重ねの上、その延長上にあります。過去から現在まで様々の事象が「ミルフィーユ」のように積み重なり、その表層が現在であるに過ぎません。現在を素直に見ることも確かに重要ですし、若い人たちのモノの見方に感心することもあるのは事実です。しかし、一方では、「ミルフィーユ」を自覚することも大変重要に思います。
例えば、インドネシアについて言えば、私は40年前から遥か日本からウォッチしてきました。最初はアジアカー(キジャンとして実現)の企画担当者として、30歳代(1980年代)は調査・市場予測担当者として、その後は海外営業企画担当としてなど変化を見続けてきました。普通に途上国であったインドネシアが現在に変化するのはここ10年といっても過言ではありません。韓国が「化けた」のも2000年代初頭であり、中国が「変わった」と今にして明らかに思われるのも2002-2003年のことでした。
それが膨らんで「今」の「驚き」へ繋がるわけですし、その2000年代初頭への変化の土壌はその前の数十年「ミルフィーユ」があったわけです。
・実は、今回の片平さんのお話は面白く、大変触発されましたので幾つか述べたいのですが、本論に入るより前説が余りに長くなってしまった別の機会に譲ります。
・日本は限界効用の厳しい状況に有り、成長期の伸び伸びした気持ちや行動とは違います。現在の状況も安易に形成されたわけではありませんが、「ミルフィーユ」を意識すれば、往年以上の努力が無ければ先へ進まないことが知られるでしょう。
PS.ジャカルタで日本の企業が新時代の帝国主義で途上国を収奪に来たと、「焼き討ち」にあったという過去も、そんなに昔ではありません。そういう経験も含め、反省し、現在の日本企業の海外活動があるはずです。それは、国際派でもなく、世界人(古い言葉でいえばコズモポリタン)として活動している筈です。ただ、その先が不分明です。世界人としての「日本」や「日本人」とは一体何なのでしょうか。「日本のおもてなし精神」を海外へ発信する、というのはどういう理解をすべきか悩ましい課題です。
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前ラウンドの「パリティ問題」に引き続き、わざと分かりにくくして聞く者に考えさせるファシリテーションの高等テクニックとお見受けしました。呑み込みやすい流動食ではなく、引っ掛かりをつけることで各人がそれぞれの答えを考えたことと思います。ありがとうございます。
私が捉えた「一言で言うと何だ」やはりなんといってもあぶないぞ日本ということです。大変な危機感を持っていいと思います。単にASEANのことを知らないのであれば知ればいい、挽回の余地はあります。問題はなぜ知らない状況に陥ってしまったのか。グローバル視点でのコミュニケーション力欠如こそが日本ヤバイの病巣であり、簡単には治らない根深い問題であります。社内のしかも日本人同士のコミュニケーションですら不全に陥っている状況下で何をか言わんや海外に出ていける訳がない。奥ゆかしさとか恥とか、あうんの呼吸とか、日本人の美徳とされてきた特性が裏目に出ているのではないでしょうか。社内の公用語が英語の会社が話題ですが、英語を話せればいいのではなく、英語のマインドセットになりなさいということだと思います。
かく言う私も英語ダメ、人見知りで引っ込み思案、とっさの切返しが苦手なダメ日本人なのでMBFの素晴らしいメンバーを見習って精進していきたいと思います。
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昨日はありがとうございました。
新しい話が多く聞けて非常に楽しかったです。
(個人的には、後輩に片平先生の口から直接語られるブランド論をきかせてあげたかったという思いも少しありますが 笑)
感想として3点ほど。
●五感診断について
・日本の多くの大企業に共通のできていない点について、自社も全くできていないと思うことが多くあり、お恥ずかしい話ですが、他社も同じようなことで悩んでいらっしゃると思うと勇気がわいてきました(苦笑)。
・特に今、私自身が直面し、痛感しているのは部門間のコミュニケーションです。ただ共有していれば良い情報はともかく、客観的には共同で取り組んだ方がより良くなると思える場合の連携を上手く図りたいと思うのですが、なかなか困難が。地道な取り組みしかないようにも思いますが、力をつくしていきたいと思っています。
●言語の精度
・所詮言語というものは、それぞれの経験によって形成されているものであり、同一の言語が同一の意味を持っている保証はないというよりも厳密には同一であるわけはなく、共有、共通理解というのはある種の幻想でしかないことは十分承知しているつもりでありながら、時々改めて、ズレの大きさに愕然とします。今回、特に「時間」によるズレについてご指摘頂き、なるほどと思いました。その中で、良く業界用語・業界の常識のようにいわれていることは、実は「ズレを感じるようになる時間」に影響しているのではないかと思いました。(例:レストラン業界の人にとっては1カ月で” 古すぎる”情報等)
・鮮度がズレてきていることを気づく「センス」というものも大切だと感じました。特に商品開発者がマーケットを見るとき、消費者に見えている(意識されている)鮮度を理解しつつ、一歩早い鮮度でなにかを感じとる感覚が重要ではないかと思いました。
●日本にオーラをもたらす3つの軸
・質疑してくださった方のメーカーとの対比、なるほどと思いました。
・私は、過去にイタリアのフェリー運行会社にインタビューしたときのことを思い出していました。その会社いわく、船は日本製の船を中古で買うのが良い。品質・スペックが極めて高く、中古で買えば価格もリーズナブルである。ただし、日本製の船はスペックで表示できる品質しか高くないのでリノベーションが必要である。つまり、乗り心地、外観や内装などのセンスは全くなっていないので、全てやり直す必要がある。・・・・
・ここ何期か片平先生がおっしゃっていた「ものづくり」から「ことづくり」というのは、こういうことも意味されていたのかと考えました。本質的には、「もの」というのは、わかりやすいスペックだけではなく、「なんとなく見ただけでワクワクする」「乗りたくなる」「乗って気持ちいい!」といったことであり、片平先生のおっしゃる「不必要なほどこだわる「細部」」とは、そういうことを意味していると思いますが、今の日本においては「ただただスペックを高くする」という不必要さにはしりすぎてしまったのではないかと感じました。なぜそうなってしまったのか。自分の「感覚」のようなものに誰も自信を持てなくなってしまっているのか。
・そう考えてくると、初めて「観光」について学んだ日のことを思い出しました。「観光とは、漢文で、国の光をもって観るということであり、自分の日常とは異なっている他の国(地域)の光(宝)を、敬意をもって観せていただく・誇りをもってみせる」ということである。ということであったと記憶しています。根幹としてなにか自分に自信をなくしているから数字・スペックにはしってはいないか。自分たちの感性・センスを誇りをもってみてもらおうとする姿勢がもてるようにならなければと感じました。
時間があまりとれず乱文乱筆、思考もまとまらないまま申し訳ありません。取り急ぎ。
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*参加に当たって
ブランドフォーラムの継続すべき主旨の確認と時代の流れなど
変化点を知るため参加
*理解・解釈の観点
概念そのもの、ブランドへの関わり、自らの場との対比、実践の必要・可能性を考える。
*拝聴結果(→は私の解釈)
0 アジアとの対比については実体験が無く、とにかく「違う」としか言えない。
1 変わらない物 定番+驚き、心のふれあい、過剰
2 新たな物 同期発火 →これには時代価値を共通所有物と
した受け手の感性が在る。
3 → 時代=世代、世代の中でも地域性(階層)、最後には
個性という差もある。
4 モノを伝えるために「相手」を見て同期させる努力は必要
5 相手を見るための、場の共有は必要=だから出かける。
会う。
→モビリティの本質が有る。情報伝達だけではモノは
伝わらな。
「いいからここに来て見ろ、直ぐ判る、居るんだよ
埋め尽くす程 敵が!」
*1944年にノルマンディで現場のドイツ将校が軍団本部に
掛けた(とされる)電話のシーン
6 名声の獲得のため
目利きに伝える
名声のある場で勝つ
名声のあるモノ・ヒト・コトと結びつく
→ 定番と感じますが、30代以下のDIGITAL NET世代の 目利き・名声が私(50代)活字・直接対話世代と
同じか、場面場面で確認必要
7 オーラを持つために
愚直さ
仲間(同士)結合
相手を知り、同期させる おもてなし心
→ 日本が生き残るにはこれを強味すべき
と思います。
*推論・考察
日本の特殊性については 少し古いですがベンタサンの
「日本教について」が使えると考えます。
長い建国・発展の歴史があり自覚していないが共通した
共通自我が在る。
緩い仲間意識が在る。 従って「空気を読む」ような
定義されない暗黙知が在る。
それらは強味で、モノ作り、コト作りに「総合力」を
発揮出来得る。
*展開
グローバルというものの、どの民族も自己の立脚点はある。
それを「中での結束力」と「外への伝達力」と各々進める 使い分けが必要。
最後に 発言もさせて頂き、「論」で無く「理解=納得」の
2時間でした。
有難うございました。
以上
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さまざまな面白い話がありましたが、一番は無駄話は情報伝達が目的ではなく、心の交流(親交)だという意見はなるほどなあと思いました。
確かに、yesでしか答えざるを得ないものを三回問いかけることによって初対面の「軽い嫌悪」→「好意」になるのだと思います。
(人間としての相性もありますが笑)
また、日本自体のブランド力の低下はかなり否めませんが、わたしは進むべき道はあると思います。
いい意味で、同年代またはそれ以下の年代の若者たちは、よく年配の方たちが懐かしがる最盛期?バブル?を知りませんので、マイナスからはじまったほうがむしろ伸びしろがあると考えています。
悩んでいても仕方ないので(評論家にはなりたくない)、実行してみて失敗してもいいのでどんどん進んで行きたいと更に思いました
(楽しみながらw)
ありがとうございました。”
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“気づき3つをいただきました。ありがとうございます。
①今までの自分
海外で一人で勝負してきた同期と比較して、今までの自分は弱っちい。一人で勝負する経験の差に改めて気づく。
②今の日本
当社のWLの売れ方を見るに、とにかく憧れの生活を獲得する為に当社商品が拡大するアジアと、物が充足して、とにかく安くないと売れない日本と比較すると、どっちが上かは分からないが住んでいる人の目がキラキラ(ギラギラもあり)しているのはアジアだと分析出来る。
③これからの日本と自分
今更、海外で一人で勝負しようとは思っていない自分が出来る事。
東京中のまちなかトイレを、誰もが気軽に使えるレストルームにして、2020年に世界中からお見えになる方達に「日本のオリンピックも面白かったけど、トイレがとにかくクール!」と言って、免税店や各国でWLを使ってもらう事ぐらいは出来そう。
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はじめての参加だったこともあり、企業活動の目的が「好意と尊敬」を獲得すること、と明言されていたことに感動しました。企業ビジョンを明確にしていく際に非常に参考になります。
また、「言語鮮度」「言語精度」も示唆的でした。言語精度に関しては、過去の体験(たとえばバブル)を持たない人と持っている人との体験知という形も考えられるため、原体験知と現在体験知の差だけでなく、原体験知自体が欠損している人とのコミュニケーションという視点も入れていただけるとさらに面白いと思いました。
そして、日本の再ブランド化。まさに現在の私自身の課題認識と重なるところでしたので、今後の展開が楽しみです。
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おおげさかもしれませんが、片平さんの「日本ブランドを世界で構築しなければ未来はない」という熱意が伝わるセッションでした。今も昔も世界で通用するには外へ開かれた心と内なる独自性を個人も組織も意識して磨くことが肝要だと思います。ドメスな企業であってもこの視点は持ちたいし、自分なりに何ができるかを考えて行動していきたいと思います。別のフォーラムで日本中心主義から能力中心主義へ、地球規模の皮膚感覚、戦略的意図の重要性、共有価値の理解とアプローチ、心地よい領域から踏み出す覚悟、という5つの視点を教わりましたが、ブランド視点には欠けたものでした。MBFはブランディングを軸とした知見を追求してもらいたいと思います。
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“毎年刺激的な課題の投げかけ、ありがとうございます。
まず、ASEAN内での比較に関しては、実は従前から私も感じていました。韓国以外のビジネスパーソンは、少なくとも住環境については日本とは比較にならないとように思います。物価の問題もあるのでしょうが、基本は国全体での生産性の問題です。つまり、わが国では名目の一人当たりGDPは高いものの、物的価値の生産性はかなり低いのではないかというのが私の仮説です。
このことを霞が関的にとらえると、「技術立国を目指す」とか「エネルギー自給」とかの話しになりがちですが、私はそうは思いません。生産効率以上にマーケティングの効率、もしくは経営の効率に問題があるのではないかと考えます。
わが国では「経営者」というのは、ほかの業務で飛び抜けた実績をあげた方が登用されるわけですが、欧米では「経営者」としての学歴、キャリアが確立しているように見受けます。ASEANの多くの国は、日本と異なり米国型のマネジメントを展開していますので、各社の経営効率が高く、それが国全体の豊かさを底上げしているのではないかと感じます。もちろん職種の細分化、競争の激化により、社会階層の問題は避けて通れませんが。
広報や営業のミッションに関して、「好意と尊敬」というキーワードは、本当にその通りだと感じました。それ以外のことは「好意と尊敬」に起因する副次的な「結果」といってもよいのではないでしょうか。これまで広報や営業のKPIとして、このような指標は聞いたことがありません。ぜひ指標化して、会社間比較などできれば面白いです。
(追伸)働く人の意識調査ですが、自分も内資/外資、大企業/ベンチャーと経験しましたが、弊社は本当に変わった会社だと思います。片平さんの実験材料にどうぞ。社員番号からのランダム抜き出しも可能です。”
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回を重ねるごとに、片平さん自身の熱意を、強く感じます。私なりに解釈してみました。
①アセアンの動向。GDP等のマクロ経済と言うより、アセアンの人々の「行動」の中に、凄さが隠れているように感じています。理屈など何の園、「考える前に行動」、失敗だ、成功だなどと、良い意味で、こだわりがないので、活力のような熱を感じるのではないでしょうか。(会話だって、全然下手だけど、通じるまで熱弁でまくし立てる。その鼓動から、熱意を感じる。)
②片平さんの「現場を見る」や、アセアンで成功した各社の達人は、捜査の格言「現場100回」そのものだと思います。昨今、便利なバーチャルで学習したような気になりますが、何は無くても、現場=リアルを肌身で感じることが、道を開くための、基本中の基本だと再確認しました。
③話し手と受け手のズレ。言語鮮度と精度は、確かに1対1の場合、認識の差によって、「ズレ」が生じると思いますが、私は、この差を、問いかけ?に変えて話してみると、ズレからネタになると思っています。女性の年齢を何となく知りたい時、アニメや音楽を自分の言語鮮度で問いかけます。問われると人は「答えます」。これだとズレにはなりませんし、その人の解答で、年代が読めるので、歳も、何となく分る。同時発火をこんなネタ活用すると、会話が弾むのではないでしょうか。
④日本の食。このところ、パリのBento、パリ、NYの日本酒等々、海外のグルマンに高く評価されています。〇〇学会が、日本・食の情報源としての役割だけでなく、現地と日本を結ぶ、食のハブとして、機能して欲しい思います。「サラダに醬油」、これも日本の食の、成せる技ではないでしょうか。
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ASEAN、東アジアで”光る日系ファッションブランド”は、ユニクロかワコールしかない、というのが、私の実感です。他に、「複数の拠点を構え、現地の皆さんに支持を得ているブランド」があれば知りたいです。ただ、冷静にこの2つを見つめた時、片平さんの最後の指摘に収斂されるように思います。なぜ”光る”かと言えば、”日本らしさ”を素直に感じられるからです。無理にアピールしなくても、伝わることは伝わります。「おもてなし心」「チームワーク」「細部」この視点を大切にしましょうょ!不必要なほどに。(送信遅くなりすいません。整理するのに時間かかりました)
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個人が海外に進出したビジネスを「衣食住」のカテゴリー別で見てみると、まず70年代から80年代に三宅一生、高田賢三らがパリコレに参加、日本人デザイナーが「衣」の分野で活躍した。次に90年代から現在に至る過程では「住」の分野で安藤忠雄、隈研吾、伊東豊雄などの建築家の活躍が目立つ。海外の数々のコンペで勝ち、日本の建築家のレベルは間違いなく現時点で世界トップクラス。ところが、「食」は、「NOBU」など海外で名声を獲得した料理人はいるが、あまり注目されることはなかった。ところが最近変化が見られ、昨年ロンドンに進出した「菊乃井」、香港に出た「龍吟」などミシュランの星付き料理人が海外に進出しはじめた。
では、彼らはなぜ海外に出て行ったのか?それは、ファッションの世界はパリコレで認められることが世界で認められることであり、パリコレで勝負するしかなかった。建築家はバブル崩壊により日本での案件が少なく、クライアントを求めて世界に出るしかなかった。どちらも海外打って出る必然性が存在した訳である。そして、最近のミシュランの星付き和食店の海外進出。こちらは不景気&ミシュラン効果で外国人客が多数になり、「龍吟」では日によっては8割外国人と聞く。このような流れの中で、海外でフレンチやイタリアンに負けない「和食」で勝負したいと云う料理人の思いが臨界点に達した結果だと思う。
さて、モノづくりの日本ブランドがなぜアジアで惨敗しているのか?それは、アジアで本気で勝負をすると云った熱量(体温)が上がらないからに他ならない。中途半端に豊かなGDP世界第三位の国内市場を抱え、そこそこ自国で利益を確保できているので、アジアに打って出る必然性を感じない。かえって日本の業界で後塵を拝している企業の方が、アジアに出る必然性があるので成功している。その代表例が「マンダム」と「ポッカ」だ。
世界経済は、国ベースの格差が狭まり均一化の方向だ。そして、アジアはそれぞれの特徴を維持しつつ、「ONE ASIA」の方向に進む。これを日本(ブランド)が必然と捉えるか、ガラパゴスの道を歩むのかという問題なのだろう。
アジアマーケットで勝ちぬくと云う強い意志を持ち、またアジアで勝たなければ会社は滅びる、それを必然だと思うことが起点である。「Necessity or Die」だ。
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私も少なからず海外の市場に対して商品を開発&販売している身であるので、今回のお話は参考になりました。
特に、現地と同じ時間の感覚(鮮度)で話ができる、という点は非常に共感を覚えました。
ありがとうございました。
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今回は非常に興味深い話を拝聴させていただきありがとうございました。
電化製品は日本製の製品の信頼度はまだまだ高いように思っておりますが、飲料系をはじめ多くの製品が海外で苦戦している昨今の現実は、いつから始まったのか?
後半に基本企業の本社の課題についてのアンケート結果の説明がありましたが、夢を追う仕事のウエイトがどんどん小さくなってきているという点についてそのとおりだと感じた。
現在は効率化の名において、社内で様々なシステムを導入し、旅費・宿泊費の申請まで各自が行う会社が増える等、本来集中すべき本業に費やす時間がそぎ落とされている企業が多いような気がします。
日本を元気にする、という出発点は企業が社員を元気にさせ、生産力や向上心を向上させることなのかと思いますが、同期発火の例ではないですが企業には様々な問題点があるのだと思いました。
資生堂の方の質問にありましたが、新興国が成長するきっかけがあるように、今の日本にも震災復興というきっかけを大事にしていくべきではないかと感じている。
■
「日本発のブランドが弱い」と、「国」というセグメントによってそのブランド存在感を語られた今回の議題には少々の違和感がありました。
良く練られ成功しているブランドには「国」という枠組みを超えて魅力を放つもので、むしろ「国」を第一義に考えるべきではないのではないかと、考えています。
とはいえ、我々が発信する商品やサービスが日本発であることは偽りの無い事実。
利点も欠点も生かしてこそブランドは生きて機能すると考え、新たな視点を得たいと思います。
—
基本、食いしん坊なので、食文化をお題とした進行には大変興味があります。
日本ほど世界の食文化に広く触れられる国は無いですね。
「日本発の食文化」と「世界中の食文化に触れることができる」という構造は不思議なパラドックスがあり、面白いですね。
”
■
“とても熱く意味深いプレゼンテーションをありがとうございました。また、自分の中で全体の流れを理解するための質問に真摯にお答えくださり、心より感謝申し上げます。
(1)今回のプレゼン内容を(自分なりに)まとめると、
●日本人(企業)は、いつしか“現場”を知らなくなり、顧客ニーズに基づいた(真に)魅力ある価値を産み出しにくくなっているのではないか。
“現場”を知らないことで、 現地実態との“ギャップ(情報鮮度・情報精度のズレ)”が発生し、現地顧客に対し魅力ある価値を産み出し得ていない。(ex. アセアン諸国の(ミドルからアッパークラスの)生活水準は既に日本を超えていることを、どれほどの日本人が認識しているのか?)
●このように、日本人(企業)が“現場”を知らなくなってきた理由は、
・多くの若者や企業が“現場”に積極的に入り込んでいこうとしていない。
・その上、日本企業(特に、大企業)においては、組織が硬直化し、現場の実情が本社に入りにくい状況が発生している。
※ブレークスルーできている企業は、現地に入り込み、現地で判断する“やんちゃな”マネジャーが出現したとき場合のみ。
●変わろう!日本!
(2)ここで考えたこと。
●「日本(JAPAN)」という国や人が、その他の国々に対して、“(意味ある)付加価値”を産み出し得るか?
→答えは当然「YES」。
※すべての国がそれぞれの風土・歴史に基づく人と慣習・感性を醸し出しており、それぞれが“ユニークな存在”。よって、そこから産まれる文化・商品・サービスもすべてユニークなものであり、その意味で“付加価値”を持ち得ると思います。そして、それがその時の人々のニーズにマッチした時、“付加価値(=ブランド)”となると考えます。
●その意味では、“(意味ある)付加価値”を産み出す要素は、2つ。
①「日本(JAPAN)」の持つ“ユニークさ”
②上記と“現場”のニーズとのマッチング
●では、「日本(JAPAN)」の“ユニークさ”とは何か?
片平さんの、「おもてなし」・「Team Work」・「細部へのこだわり」という指摘については同感! もう少し別の言い方をすれば、「長期的な視点でモノを捉える」・「結果ではなくプロセスを(一緒に)愉しむ」といった、それらを産み出す“モノや行為に対する接し方”、そして、そうした接し方を産み出し支えている、“(日本特有の)幸福感・価値観”が、「日本(JAPAN)」の“ユニークさ”ではないかと思います。
※問題点:今、こうした私たちの“ユニークさ(もしくは、その源泉)”を、私たちが真に理解しているかには疑問があります。欧米流のやり方(短期的成果主義等)を無批判に受け容れすぎている面も多いと思います。
●“現場”ニーズとのマッチング
これについては、片平さんが指摘された通りだと思います。
これは、(平均的生活水準の高さ等から)余りに内弁慶なっていることや、“内なる規範”が十分に無いため、未知の世界に飛び込む勇気・気力が弱くなってきていること等、いろいろな要因があるように思います。
思い切って飛び込むことが、手っ取り速い方法だと思いますが、日本人としての”内なる規範”を培っていくことも、重要なことだと感じます。
以上です。
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言語精度と言語鮮度の話が印象的でした。
ブランドへの理解を高めたくともコミュニケーションしたい相手との前提の共有がないなかでは成立しない。一方的に伝えることだけ考えていてもダメなんだと改めて実感しました。
この前提の共有を行った上で、強みを目利きに理解してもらえるようなコンテキストで展開することが、そもそもなかなかできていらず課題だと感じています。
お客様の声や賞に代表されるお墨付きとセットで展開できれば、日本企業の強みである「おもてなし」「チームワーク」「細部へのこだわり」がグローバルで非常に価値あるものになり、まだまだ世界で勝負できると思います。
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言語鮮度・言語精度という概念は非常に面白いと思いました。弊社(Honda)ブランドに対するイメージは国や年齢によってかなりバラ付きが出てきているようです。
一方でブランドマネジメントの基本は一貫性を保つことと昔教科書で読んだ気がいたしますが、果たしてそれでよいのか考えさせられました。特に国・地域別のイメージは大きく異なり、その人々に対してどう接していくのかは今後の非常に大きな課題だなと改めて感じました。
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今回はアジアに着目されたお話でした。
確かに現在の日本経済の停滞の中で、新たな市場を求めてアジアへの注目度が高まっている割には、実際のアジア市場に関する知識は非常に乏しいものになっています。アジアは近距離なので旅行にも頻繁に行きますが、それはあくまで「観光」の側面であって、一般家庭でどのような生活をしていて、住んでいる人がどのような価値観を持っているかなどインサイトの情報はほとんど知りません。
一方で、シンガポールや香港などでのビジネスの話を聞くと、日本はすでに「抜かれている」という意識は、今回の話を聞く前から感じていました。危機感を持っているくせに、ハングリー精神を持っている人は非常に少なく、不満は多くてもなんとなく生活できてしまう日本の市場規模が不幸な状況を作り出しているのか、成熟市場の難しさを感じました。