高速道路のブランドをつくる

片平秀貴

 

東京、赤坂。青山通りをはさんで赤坂御所の斜め向かいに「やらと」(右から読む)という大きな暖簾を掲げた瀟洒なビルがある。創業480余年を誇る和菓子の老舗「虎屋」の本社である。先日インタビューをするために訪問する機会に恵まれた。さぞや敷居の高いところかと恐る恐る入ってゆくと、入口を入るやいなや、すれ違う社員の一人一人から「いらっしゃいませ」、「おはようございます」と気持ちのいい連続砲火を浴び驚かされた。帰り際にトイレをお借りすると、これまた隅々まで磨かれていてこれ以上ないという清潔さに感心を超えて感動すら覚えた。

 

冒頭から高速道路とまったく関係のない話で大変恐縮だが、筆者の数十回に及ぶ取材の経験から、強いブランドにあって他のものにないものを探してゆくと、まったく意外なことに、この「気持ちのいい挨拶」と「きれいなトイレ」に行き着く。この二つとブランド力とは一見すると何の関係もないように見えるが、実はそこにブランドづくりの真髄を理解する鍵が隠されている。

 

ブランドをつくるということ

 

私たちは日ごろ何気なく、「お菓子なら虎屋」、「いつかはBMW」、「大阪で泊まるならリッツ・カールトン」、といった言葉を耳にする。「野球は阪神」、「お歳暮は三越」、「宅急便はクロネコヤマト」も同じだ。恥ずかしながらブランドについての本を何冊か出しているせいか、「ブランドって何ですか」という素朴な質問をよく受けるが、そんなとき筆者は、「多くの人がそのような発言をするのがブランド、そうでないのがただの会社、ただの商品」と答えることにしている。これらのいくつかの言葉は、それを語る人の頭の中に圧倒的存在感、他には替えがたい魅力、そしてちょっとばかりのあこがれや誇らしさがあることを表している。それがあるのがブランド、というわけである。ではどうやったらそのようなブランドになることができるのだろうか。

 

今見たように、ブランドには「***でなくては」という熱いファンがついている。ファンの頭の中には、そのブランドから受けた過去の感動体験、そしてそれにもとづく将来への期待が詰まった深い皺が刻まれている。この皺を刻み続けてゆくのがブランドをつくることなのだが、この皺は卓越した製品、サービスを提供することだけでは決して生まれないところが、ブランドづくりの難しいところである。

 

この皺は、認知心理学で「長期記憶」と呼ばれる。それは瞬間的に記憶される「短期記憶」から生まれるのだが、それが後者に変わるためには感情的起伏と反復が必要だという。したがって、ブランドが出来上がるためには単なる機能的、便益的満足を超えて「感情が揺り動かされること」が必須なことになる。人の感情を揺り動かそうというのだからそれは並大抵のことではない。単なる技術論を超えて、高度な精神性が問われる理由がここにある。例えば、脳の皺は典型的には次のようにして出来上がる。

 

  • 顧客が尋常でなくすばらしい体験をする

何ておいしいアイスクリームなんだ

  • その体験が***のおかげであることを知る

「ハーゲンダッツ」というところがつくっている

  • そのような体験を届けてくれた***の信念、信条、哲学に触れる

原料の牛乳が生まれる土壌からお店の冷凍ケースの温度まで、一貫して徹底的にこだわっているらしい。だから、他とはぜんぜん違う

  • 1から3のことが繰り返し起こる

なるほどハーゲンダッツね⇒やっぱりハーゲンダッツか⇒さすがハーゲンダッツだ

 

1は商品・サービスを磨くことにより達成することができる。しかし、2と3が伴わないと、そしてそれが一貫してぶれることなく繰り返されないと、「さすがハーゲンダッツ」とはならない。優れた商品の裏に一貫した哲学があって、その熱い思いが同時に届いて初めて「ハーゲンダッツさんありがとう」と、感情が揺り動かされるのだ。

 

では、ブランドをつくる人たちが商品・サービスを磨き、独自の哲学にこだわり続けていられるのはなぜなのだろうか。高い利益を上げたいからではない。もっと根源的な動機がある。それは、人をうれしくさせたいからである。ウォルト・ディズニーは生前、若い社員をつかまえては「われわれはお客様をちょっとうれしくさせるためにいる」と語っていたという。顧客が先にうれしくなり、それを見て社員と経営者がうれしくなる、という「おもてなしの心」がブランドをつくる人たちのもっとも基本的な素養なのである。

 

優れた商品・サービス、その裏にある独自の哲学、そしてそれらを動かしているおもてなしの心。この「驚き・哲学・おもてなし」の三種の神器がブランドをつくり、育てるのだ。特にこの最後のおもてなし心は、利己が当たり前のことだと思っている人たちにとっては習得することが非常に困難なものである。

 

ここまで来ると、やっと「挨拶」と「トイレ」の謎が解ける。両者は、おもてなし心の陽と陰の表現なのである。元気で気分のいい挨拶は本源的なおもてなし心からしか生まれない。自分だけよければ他人はどうなってもよい、という人はトイレを汚しても省みることはない。きれいなトイレは「他人への配慮」の象徴なのである。

 

日本の高速道路はブランドになれるのか

 

今、日本国民に「あなたは日本の高速道路が好きですか」とか「日本道路公団が好きでしたか」と聞いて、YESと答える人は限りなくゼロに近いに違いない。現状がブランドとは程遠い存在であることは間違いないが、悲観するには及ばない。筆者の経験から言うと、ダメなブランドほどきちんとやればブランドづくりは簡単だからである。丸の内はつい5,6年前までは、「ドブネズミの街」、「落日の街」、「日本経済とともに沈む街」と言われ、やや言い過ぎかもしれないがダメなブランドの見本のような存在だった。今、「丸の内再生プロジェクト」の推進により活気を取り戻し、ビジネスでもショッピングでも急速にファンを獲得しつつある。高速道路も皆に愛される存在になることができるのか、そのための条件と課題は何か、を上の議論を踏まえながら吟味してゆこう。

 

《何をブランドにしようというのか》

ブランドづくりでまず整理して考えなければいけないのがこの問題である。高速道路自体なのか「***高速道路株式会社」なのかだ。企業人は自分の会社が大事なあまり、顧客の意向を無視して会社名をブランドの対象にしがちだ。ソニーやキヤノンはいいが、メルセデス・ベンツの場合には会社の都合で数年間にわたって「ダイムラークライスラー」を名乗らされ、ブランド的には大いに痛手をこうむっている。消費者にとってはJR東海より東海道新幹線、日本サッカー協会よりJリーグが身近なことを考えると、高速道路自体をブランドとして育てるのが自然だろう。

 

そうだとすると、Jリーグ、iモード、eビジネスといった愛称が必要になる。独自の愛称がないといくら他の条件が整っても、脳に皺が刻印されないのだ。IBMが「eビジネス」を名乗っているときに、NEC、日立、富士通などが何も愛称を持たなかったことで、どのくらい損をしたことか。例えば、東名、名神、関越など既存の愛称を生かしながらそれを総称するものとして「J高速」的な名前をつけるといいだろう。そう言えば、ドイツには「アウトバーン」、イタリアには「アウトストラーダ」という名前が付いている。

 

《哲学はあるか》

これは、ブランドが何のため、誰のためにあるのかを規定する。受け手の顧客に「なるほど」とか「だから」と言わせる元になるだけでなく、社員に懸命に働く元気を与えてくれる。強いブランドは皆理屈を超えた固有の哲学を持っている。以下はその代表的な例だ。

 

  • ディズニー:万人の「子供心」に訴えて小さなうれしさを提供する
  • ナイキ:万人の「アスリート心」に訴えて、格好いい生活を演出する
  • 花王:「清潔で美しく健やかな毎日」を提供する

 

ディズニーが「子供心」と叫ぶ裏には、政治、暴力、セックス、ドラッグを扱うものには絶対に手を出さないという規律が秘められている。このようなタガはもちろん合理から来るものではない。どんなに儲かるかもしれないがそれを捨ててまで規律を守るというところが社員に元気とプライドを与るのだ。

 

日本の高速道路の場合に、骨太な哲学が感じられないと思うのは筆者だけであろうか。公的サービスの場合こそ、利潤動機がない分だけ、哲学の有無が社員のやる気を左右し、利用者のうれしさに影響する。経営陣が先頭に立って、「道に命を賭ける」ことを誓い、どうやって利用者をうれしくさせ続けられるのかを本気で突き詰めて考える必要がある。道でも年金でもいいからあと5年食い繋げれば、という人が経営陣にいたならば即刻ご退陣いただく必要があるだろう。

 

これはブランドの根幹なので自分たちが本心で納得いくまでとことん議論する必要がある。カゴメは、現在の「自然を・おいしく・楽しく」という哲学を整えるまでに喜岡社長以下全社員で2年間議論したという。「もし今高速道路がなかったら」と考えると、高速道路の存在意義は計り知れない。身近なところだけ考えても、宅配便はなくなるだろうし、群馬の山間の温泉でその日に取れた新潟の魚を食べられることはない。誰もその分「高速道路さんありがとう」と言わないところがもったいないのだ。そのあたりを突き詰めてゆくと日本の高速道路の哲学が見えて来る。差し出がましいことだが、「ヒトとモノの流れを変えて、日本人の生活にもっとうれしさを」というあたりも哲学を議論する出発点になりはしないだろうか。

 

《夢とアクションのしくみはあるか》

これは、「驚き、哲学、おもてなし」の中の「驚き」にあたる部分である。ユーザーに驚きを与えるためには、ユーザーにまだ見えないものを形にして届ける必要がある。小林製薬のモットーは「あったらいいな、をかたちにする」だが、まさにその「あったらいいな」というドラえもん的アイデアが組織の中から湧き出て、それを現場が血の滲むような努力で実現する、というしくみが強いブランドには備わっている。

 

そのしくみを図にしたのが【図1】だが、日本の高速道路ではこの「夢」の部分が何十年も錆付いて回っていない。利用者側に立って、もっとこうすればいいのに、ということがあまりに多いのだ。ここでは、少し大きな問題を一つ指摘するにとどめよう。道路標識の問題がそれである。北米でも欧州でも、カーナビなし、地図なしで、道路標識に従っているだけで目的地に到達できる。筆者は、20年ほど前、カナダのケベック市のホテルから700kmほど離れたトロントのブルーア・ストリートにある知人のオフィスまで、道路標識だけでたどり着くことができた。

 

翻って、日本の標識システムの不備は目を覆いたくなるくらいひどい。東名から首都高速に入って突き当たりに谷町の分岐がある。左右の行き先を表示する標識が現れるのだが、例えば左は「霞ヶ関・北池袋:東北道」としか書いていない。地方から来て新宿に行きたい人、中央道に入りたい人はどうしろと言うのだろうか。そのせいか、週末にはここで事故がたえない。私はこの問題を国交省のエリートの方々にずいぶん前から会議で指摘してきているが、残念ながらまったく変化がない。

 

強いブランドの多くは考えつくことはすべてやりつくしてしまい、皆で必死になって「あったらいいな」を探している。それを考えると、このようにやることがころがっているのは、ありがたいことである。小さい問題から取り上げて実行してみる、そこで味をしめて広げてゆく、という動きを全組織が意識してはじめる必要があるだろう。

 

《おもてなしの心は育っているか》

どの組織の場合でも、ブランドづくりで一番の難関がこの点である。ブランドづくりのレースでは最後にこの点をクリアしたものだけがゴールにたどり着くことができる。だから、「挨拶ときれいなトイレ」ということになるのだ。

 

個人でも企業でも、自己利益最大化が当たり前だと思っている世の中で、「他人に感謝されるのが最大の喜び」ということを本音レベルで広めてゆくのは不可能に近い。しかしながら、経営陣の中に運良くそのような強い思いを持った人がいれば言うことないが、そうでなくても、経営陣が意識してその方面の勉強と実践に取り掛かれば少しずつ世界が開けてくるに違いない。

 

参考までに、強いブランドの場合を紹介しておこう。強いブランドの組織では多かれ少なかれすべての人が、顧客にうれしさを届けるという究極の喜びを体で知っている。組織全体で《アクション⇒顧客のうれしさ⇒おもてなし心の再確認⇒アクション》というスパイラルを回すことで、社員は自律的に《顧客がうれしい⇒自分がうれしい⇒組織全体がうれしい》が間違いないことを体感し深めている。唯一の問題は、新しく組織に加わる人だが、これについてはつぎの二つの配慮がなされている。

 

  • 利他の心を理解する余裕のある、心豊かな人を選別する。この点について唯一客観的な基準を持っていたのは名門ホテルのザ・リッツ・カールトンである。50余の質問群とその回答に基づく選別という考え方は他のブランドも検討するに値する
  • 採用した初期の段階で、どう仕事をするかではなく何のために仕事をするかを理解させる。顧客サービスで知られる米国の高級百貨店ノードストロームには作業マニュアルはない。あるのは『従業員ハンドブック』と呼ばれる1枚の紙切れだけである。そこには二つのことしか書いていない。「卓越した顧客へのサービスを心がけなさい」と「どんな状況でもあなた自身の判断で物事を進めなさい」の二つである。ネスレのリヴレイン(スイスにある幹部養成のための施設)、ザ・リッツ・カールトンの新規開業前研修も、その重点は、圧倒的に、何のために仕事をするのか、の浸透にある。

 

この二つの配慮をしたうえで、上記の利他の全社スパイラルに徐々に巻き込んでゆくことにより、真に顧客をうれしくさせたいと願うブランド人集団がさらに揺るぎのないものになってゆくというわけである。

 

おわりに

 

以上を見てくると、課題も多いが、まったくお先真っ暗だと言うわけでないことが分かる。高速道路では、ほとんどのトイレはいつもとてもきれいであるし、料金所のおじさんも気持ちよい挨拶をする人が多い。前述のとおり、こうすればもっとよくなる、ということはいくらでもころがっている。あとは、本社で黒塗りに乗っている人たちがもっと現場に出て、できれば自分でハンドルを握りながら利用者の不便を肌で感じ、《夢⇒革新(アクション)⇒顧客の喜び⇒反省、学習⇒つぎの夢》というスパイラルの先頭に立つことであろう。そうすれば意外と短時間のうちに、「行った先の観光地より高速を走るのが楽しいね」というカップル、「長距離ドライバーってすごく楽しい仕事」と胸を張る運転手、そしてなにより、親戚から「***高速道路会社に決まって、すごいわね」とうらやましがられる入社予定者、等々が世の中に溢れて、昨今の不人気は何だったのか、ということになるかもしれない。そうなることを切に祈りたい。


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