2月20日(金)
「日本のブランドビジネスを一緒に考えたい」
エルメス・インターナショナル(フランス) 副社長 齋藤 峰明
■ たいへん素晴らしい講演を伺うことができ、感動しています。
エルメスのブランドについて、明確に「フランスの伝統文化に基づいた職人技により作られるのが、エルメスの製品。エルメスの職人がすごいのではなく、フランスの職人が築いてきた技術がすごいのだ」といい切られた点には、真のブランド論を明らかに見せつけられたような気持ちになりました。
日本人の齋藤さんが、フランスの伝統文化の伝承人となっていることにも興味を持ちました。
本来、日本人が築いてきた価値観に基づいた、アメリカ流でない新たな価値観の形成、私たちがやるべき事は何か、じっくり考えてみたいと思います。
まずは、今でも生き残っている和食文化について、自分ごととして、研究したいと思います。
「物以上に大切なものが宿る物。真面目に謙虚に作っていかないと、そのような価値の宿る物にはならない。」
わたくしも、お気に入りのものを大切にしながら、暮らして行きたい、そのようなものやサービスを提供できる人でありたい、と思いました。
素晴らしい講演を企画してくださり、ありがとうございました。
■ エルメス社の「ものづくり」に対する信念を非常に感じました。またマーケティングが嫌い・マーケティング部門が無いとの事でしたが、本質的なところではまさしく真のマーケティングをされているのだと思いました。
弊社もメーカーとして大切にしていかなければならない事の再確認ができました。ありがとうございました。
■ 齋藤さんが会場に入ってきた瞬間に漂ったエスプリにまず目を見張った。仕立てのよい、上質な白いシャツを上品に着こなす術。白いシャツを着こなす名手、元コンデナスト・ジャパン社長の齋藤さんにお会いしたときと同じ、日本人にはない雰囲気を感じた。
齋藤さんには“初”がついて回る半生だ。高校卒業後に渡仏し、階級社会が強く、また人種問題でも日本とは比べものにならない環境で、アジア人、日本人として道を切り開いてきた。そして、エルメス本社で初めて、フランス人以外の幹部に登用されたと聞く。これは、日本人シェフがフランスでミシュランの三つ星を獲得するに値する出来事であり、齋藤さんは戦後日本がフランスに輸出した最高のものかもしれない。
齋藤さんはとても幸せそうに仕事をし、またエルメスを語るとき自信に満ち溢れていた。それは、エルメスの伝統やフィロソフィーを心から尊敬し、そこを起点に仕事がしているからだ。
エルメスのビジネスで私が興味を持ったのは、プライシングの方法だ。エルメスは、同業と比較して利益率が高い。「ブランドとは利益率だ」、とは会場にもいらした河野さんの名言だが、エルメスはプライシングをどのようなプロセスで行っているのか?気になるところであり、それを知ることで新たなエルメスの真髄を垣間見られる気がする。
■ 大変刺激的なお話しでした。
自分の生き方(仕事のあり方も含めて)を考える機会をいただいたと思います。
ラグジュアリーは修理できること。という5代目社長のお話はインパクトありました。
■ マーケティング、ブランディングといった企業文化が無い本当にものづくりを大切にしている企業であると今回はじめて知りました。
自社のブランド、アイデンティティー、存在価値が何なのか改めて考えていたということもあり、非常に強烈なインパクトを与えていただきました。
■ エルメスが職人中心のものづくりを大切にする会社だということが理解できました。斎藤様の「ブランド」「マーケティング」が嫌いだということが印象的でした。
■ 学生時代?社会人になりたての若者だった頃、身分不相応な『ブランドもの』を買い漁ってた者です。その頃はブランドロゴを前面に出した鞄などを臆面もなく持っていたのですが、エルメスだけは別格でした。小娘が気軽に入店できない雰囲気で、でもバーキンが欲しくて欲しくて月1回は入荷確認詣でをしていました。
いつしか『ブランドもの』と呼ばれるものにはストーリーがあり作り手の想いを感じると、鞄だけ高価な物を持つ自分のアンバランスさが恥ずかしくなり、もう少し成熟した人間になるまで我慢しようと、現在もバーキンは遠い存在です。
今回、お話を伺った中で印象深かったのは『自分の想いを込められる物に囲まれる幸せ』という言葉です。物の価格が高いか安いかは市場が決めるだけで、価値は使う人が決めることなんだと思いました。
■ ・良いものをつくる背景には、よい顧客がいること。
・職人の地位・技術、文化の継承を大切にすることの重要性等、
ブランドを考える上で、非常に勉強になった。
■ 「ブランディング」、「マーケティング」という言葉に顧客を操るマニピュレーション臭を感じる理由を、今回のお話を聞いてはっきりわかったような気がする。
創業期、時代の最先端を行くお客様の間近で接していたため、世の中の変化を先取りすることができ、急激な社会変化に対して業態転換できたというくだりは特に印象的だった。
かつての住居が3代目が好んだものを集めた博物館になっており、デザイナーにエルメスの価値観を伝える場所となっているというお話は、前回の藤子・F・不二雄ミュージアムにも通じる部分である。アイデンティティとしての文化があってはじめてブランドになるという考えのもと、いかにブランドの本質を共有化し伝承していくかが、自社にとっても課題であると再認識した。
「人間の生活を豊かにするための必需品」。エスタブリッシュされたブランドだからこそ、そう言い切れるのだろう。創業期に、圧倒的な技術力やセンス以外に、ブランドを確立していくための「マーケティング」がおこなわれなかったのかどうか、ちょっと聞いてみたい気もした。
■ 齋藤さんのいちばん伝えたかったことはなにか? タイトルの「日本のブランドビジネスを一緒に考えたい」とはどういうことなのか? 『“ブランディング”とか“マーケティング”とか言っているキミたち、ちょっと立ち止まって起点(立脚点)と終点(ゴール)を見直してみないか?』と解釈しました。
エルメスは正真正銘の「ブランド」ですが“ブランディング”という演出的手法でつくられるものではなく、自分たちが何のために生まれて何を持って誰のために生きるのかという本質に向き合った一貫した真摯な営みによって「ブランド」に成り得たという歴史的事実を学ぶべきでしょう。
どうすれば本質を起点としたブレない経営ができるのか。エルメスの場合は“家業”(ファミリービジネス)であった故に(“家”を社会の一員として存続させるため)結果的にビジョンが長期的なものとなったのですが、それが、人が社会集団のなかで生きる時の大切なことは何かということをそのまま企業理念に投影することが出来たのならば、ファミリー企業でなくともそれは可能となるのだと思います。
まさにブランドは一夜にしてならず。“ブランディング”や“マーケティング”でブランド「のようなもの」は出来ますが、真のブランド足り得るには相応の覚悟と、物語が醸成される時間と、善き人であることが必要だということです。ここまで思うに、ブランドとは経営そのもの、企業活動すべてを映す鏡であるとあらためて思い至り、かえってちょっとルサンチマンな自分がいることにはっとしたのでした。いけませんね。
■ 私の場合、エルメスが高級ブランドであり、バーキンやケリーバッグが有名かつ高価であることは認識していましたが、LVMHと同類のルイジビトン?程度の認識しかありませんでした。 またレクチャーのタイトルが「日本のブランドビジネスを一緒に考えたい」というものだったので、如何に我々の商品や企業を一流のブランドに育てるかの方法を、エルメスの実例を交えながらワークショップ形式で議論するのかと思っておりましたが、冒頭の『エルメス社内ではブランドやブランドビジネスの言葉は禁句に近い』との発言に驚愕。
エルメスの事を全く誤解していました。 職人のものづくりを出発点として、買ったお客が使い込むうちに積み重なる思い出、そして修理で工房に戻ってきて、さらに何十年も使い続ける中で醸成されるのが“ブランド”だとか・・・、正に“職商人”の世界ですね。 そしてナイキに象徴されるアメリカ的なブランド戦略を『全く逆のアプローチ』だと切り捨てたのも痛快でした。 またお話を聞いてるうちに前に聞いたとらやの黒川さんの話に通じるものがあるなと感じていたら、実際エルメスのライバルを聞かれたインタビューで『とらや』と答えたとか・・・、納得です。
■ ブランドフォーラムってマーケティングの一部というか延長線上にあると思ってましたが、最近そうでもないですね。むしろアメリカルーツのマーケティングと違うところにこそ、本物の「質」があるのではと思わされる内容でした。
日本て実は恵まれてきた。明治以来、ヨーロッパの””Best””を吟味して取り入れられる立場にあった(それを下支えする高度な職人技は誇りとせねばならないが)。使われるモノを作る、だから使いたくなり、ブランドに「なっていく(ブランディングするのでなく)」日本て、今ならまだ間に合う気がして来た。
■ エルメス社のモノづくりの姿勢、企業文化、思想というものが、直接お話を聞くことで肌感覚として理解できたと感じる。
マーケティングというものへの距離感も大変勉強になった。
売り方という視点だけでない、本質的な意味まで含めたマーケティングという観点では、マーケティング論に共通するものがあると感じました。もう少し長く聞きたいと思いました。
■ ブランディング、マーケティングをしないという思想で
自社が何者であるかを追求することが結果として、最高の成果につながるという視点は
弊社にとっても、非常に参考になりました。
また、伝承を人から人へ、創業家が集めている美術品の展示室からのインスピレーションが新デザインにつながるなど、暗黙知をすごく上手につなげている事例も学ばせていただきました。ありがとうございました。
■ ブランドについて学びを深めるにつれ、難しいと思っていた「ブランド」という概念が、柔らかく解けていると感じます。
今回のお話は、ブランドを守るというよりかは、のれんを守るという、とても分かりやすいお話だったと感じました。
■ エルメスは商品を売っているのではなく、アート作品を売っているのだ。
チームに分かれてのディスカッションで、ケリーバックが300万円もすることが議論になり、それだけの付加価値があるのか、原価を考えると価格設定が常識を越えていると云う指摘があった。
ラグジュアリーブランドの商品を購入するとき、コストパフォーマンスを計算する人は買えない。これはアート市場、例えば杉本博司の1,000万円の写真を買う人は、制作コストを考えて買わない、と同じだ。
エルメスのバッグは、一人の職人が全工程を請け負い、自分の名前の刻印を入れる。これはアート作品に作家がサインするのと同じだ。つまり、エルメスのバッグは、職人のアート作品に他ならない。ラグジュアリーブランド市場と、アート市場の構図は同じで、作り手に対する顧客の関係はファンである。ファンはコストパフォーマンスを考えない。
しかし、日本発のラグジュアリーブランドがないが、これだけの職人気質がある国なのに何故か?もう少し考えてみたい。
■ 小田垣ゼミ(MBF社会人ゼミ)での学びと、非常にシンクロするものを感じた。自然と醸成されていく「家風」がエルメス魂を作る=ちょうど前回の小田垣ゼミで「風土」と表現されていたものと一致。モノとは各顧客のためにあるのであって、市場なんて漠然としたもののためにあるんじゃない。使われてなんぼ。「変なものを作るな。もし売れちゃったらどうするんだ、エルメスの名折れだろ」、一つひとつ響く言葉でした。
■ 時折、銀座の店舗に足を運ぶことがあります。立派なドアマンに扉を開けてもらい、きれいなスカーフを横目にエレベーターに乗り、メゾンエルメスのギャラリーへ。店内のものはとても手が出ません。また、昨年、上野での展示を拝見し、あれだけの展示を無料で、しかも、職人さんによる実演、皮のサンプル触り放題、過去から現在に至る製品の見せ方、歴史と技術と何よりも、エルメスとは、何たるか、を自らが一番よくわかっているからこそ、と感心しました。そして、今回の斎藤さまの講演でブランド、マーケティングという言葉を使わない、とおっしゃれたこととが結びつきました。さらに、なぜエルメスの革製品はこんなにも値段がするのか、という疑問にすっと答えが見えた気がしました。サングラスは作らない、のではなくて、作れないから、というお話も、納得でした。作り手と、使う人をきちんと結ぶ力、こだわり。馬具から様々な革製品へ。時代の先を読みつつ、自分たちにできる技術、伝統を大切にする、その姿勢が値段云々ではない、使った人がまた使いたくなるエルメスの魅力なのかな、と思いました。
ネーミングの開発を生業としている身としては、やや耳の痛いお話でもありました。一方、上野で盆栽のなかに飾られていた””RURI””というバッグは、自分の名前と同じであり、とても手に入るものではないですが、あのエルメスに自分の名前と同じ商品がある、というのは自分の職業との絡みもあり、とても嬉しく思った次第です。
貴重なお話をありがとうございました。