参加者の声 石田秀輝「環境の世紀に求められるあたらしいものつくりと暮らし方のか・た・ち」

「環境の世紀に求められるあたらしいものつくりと暮らし方のか・た・ち」
石田 秀輝 ((合)地球村研究室 代表社員、東北大学名誉教授

 

■ アーティストやデザイナーはインスピレーションをしばしば自然の造形に求めます。また、花鳥風月、自然界に存在する花や鳥や風景を美しいと思う感情は人為的に策定された国境を越えて万国共通の思いです。
設計者との会話のなかでも「そのほうが自然だよね」とか「そんなの不自然だ」とか、“自然”かそうでないか、といった議論になることがよくあります。この場合の“自然”とは大概“調和”と同義で調和の相手は人だったり環境だったりと色々ですが、俯瞰してみると「サスティナブル」に行き着くのです。人間はその英知で様々な構造物をつくりますが、自然に逆らってムリをしても必ずしっぺ返しを受けます。
「自然に学ぶ」ためにはまず、石田さんのように、自然をよくみて考える“観察”する態度が大事だなあと、家と会社と画面の往復ばかりの今日この頃に反省です。

 

■ 今回のテーマである「地球環境とライフスタイル」についてとても感銘を受けました。地球環境と企業の発展について、私は相反するものとしてしかとらえられておりませんでした。企業の立場からいう「エコ」という言葉ですが、こちらも本当にこれがエコにつながっているのだろうか?また、この魔法の言葉を使えば、時代の流れにのって“売れる”のだけが目的なのでは?と悩んでおりましたが、この疑問に対しましても少し光が差してきました。
これからも地球環境に対して自分がいま何ができるのかを常に考えながら生活しなければ、という意を強くさせていただきました。

 

■ フォアキャストとバックキャストの考え方、価値観の依存型と自立型の間に企業活動のチャンスがあるお話し大変参考になりました。

 

■ 「新しいテクノロジーは、新しいライフスタイルを目的としたものでないと成功しない。例えばウォークマンは、音楽を外に持ち運んで楽しむというライフスタイルを提供した。ウォークマン自体が目的ではない。」
この言葉は的を得ている。パーソナルコンピュータができたときも、こんないいものを一部の人たちだけに持たせておくなんてもったいないと小型化し、わくわくどきどきがもととなって急速に普及していった。
テクノロジーありきではなく、ライフスタイル・どのように生きていくのかを先に考え研究開発するということ。 ここに新しいテクノロジーへのヒントがありそうだ。
「確かな未来は過去にある」
先生は人間の進化を止めたり、過去に戻るのではなく新しい考え方「自立型のバックキャスト」を提案している。(いまは完全依存・介護型の世界)新しいライフスタイルは、自然から学べるものであり実践できると
石田先生は自ら沖永良部島に移住しているのがすばらしい。
自然との決別は人間にとって必要だったのかもしれないが、
やはり無理があることを多くの人は潜在意識の中で知っている。
また最近の環境劣化も感じている。
が、国際金融・資本主義があり続ける中でどのように「バックキャスト」で考え行動していくか、すぐにはでないが考え続けていきたいとおもう。
蛇足だが、90歳の方々にアンケートをとるとはかなり面白い取組だと
感じた。
失われつつあることの例:
ものに感謝する・先祖を敬う・ちょうどよいかげん・子供の世界・
自然とのふれあい/遊び/楽しみ・役立つ庭
本当にそのとおり。心して聴くべきところだと思う。

■ ”ネイチャー・テクノロジー”については4年前のTV番組「夢の扉」(TBS)で紹介されたときから、スゴイ!と注目していたので、今回も“トンボの風車”の類の工学的な話がたくさん聞けるのか、と期待していたのですが、想像を超えた高い視点からの根源的なお話だったので、ビックリすると共に感銘を受けました。
先生のご指摘のように、我々は既に享受している便利さ・豊かさをなるべく犠牲にすることなく、環境(といってもCO2増加と資源枯渇くらいしか眼中にありませんが)を悪化させないことを、技術で解決しようとするフォアキャスト的な発想でしか企業活動をしてきませんでした。 それを環境制約を前提としながら将来の“心豊かなライフスタイル”をまず描き、そこからバックキャスト的にそれを実現する技術を開発する、というアプローチは正に目からウロコでした。 また沖永良部島での先生の生活ぶりが、まずボートや耕運機を買い揃えたものの、魚もたいして釣れないし作物もうまく実らない、とかのお話も微笑ましく、ガチガチの環境お宅にならなくても、我々でも心豊かにエコな生活が出来そうだと思わせてくれました。

 

■ 昨日の先生のお話を伺っていて、2030年に飽和点を突破するリスクの後には「“無い”という状況下での喜びや楽しみ」を前提としたイノベーションでしか「その時代」の価値観には対応できないのか?と、多少暗い気分に陥りました。
「足るを知る」を旨とする境地を尊ぶ思想とは、安泰状況にある「持てる者」に対する「持たざる者」の嫉妬心や反発心を緩和し、世の中の均衡を保つためのもの…という解釈を聞いたこともあります。
何も無かった時代の心の豊かさと、それまで享受してきた物質的な豊かさが消え去った後の心の豊かさ。 価値観の変質とその価値観に即応するテクノロジー。 15年先に弊社が手がけているテーマを再考する上で、重みのあるパラメータの一つとして心に留めておきたいと考えます。
でも、基本的に風呂嫌いな私は、泡風呂になってもやっぱり積極的には使わないような気がしました。

 

■ やや用語が独特で途中分かりにくく感じるところもあったが、奥深く興味深い講演だった。

 

■ 私の抱いている問題意識と心底どんぴしゃりで、驚愕しつつお聞きしました。ただ私は成長自体を止める必要があるのではと考えていたのですが、さすが学究、両立へのシナリオをここまで深く考えておられることに驚嘆しました。古代ローマ時代から産業革命まで、地球の人口はずっと約8億人だったと聞く。適正数の10倍の人口が、生きてくための必要量の50倍のエネルギーを使ってれば、そりゃあ星だって持つわけがない。地球はどうしたって1つしかない。たかだか5億平方キロ程度の地表を、全ての命で分け合わなきゃならないんだから、搾取型文明には何とか歯止めをかけなきゃならない。思ったより時間は残ってない(ショック)。鎖国の中、あるモノだけで何とかやってきた日本人の智恵で、有限な「鎖地球」を救えるのならば、今立たずしていつ始める?時間がないですね、あせります。

 

■ お世話になっております。思ったことを頭の整理も兼ねてメモしようと思ったのですが、揚げ足とりしかできなくて、悲しくなりましたのでモヤモヤをそのままアンケートに記載したいと思います。
個人メモに近くなってしまっており、乱文でありますこと、お許しください。
——
・わくわくどきどき=豊かな生活を私たちが好むと大前提にしちゃっていることに違和感
←でも、こういう議論ってどこかに土台をつくらないといけないから仕方ないか。
・搾取⇒産業革命=自然との決別⇒文明崩壊・・・みたいな話をしてたけれども、なんて乱暴な解釈!
←自然との決別についてはデカルトやベーコンも言ってますみたいな表現しててびっくり。
搾取という言葉の使い方も私が知っているものとは違って、ちょっとよくわからなかった。文明崩壊って、どの文明?
・江戸時代が、自然と決別せずに産業革命をおこした唯一の国?
←単にエネルギーが無かったから・・・のような気がする。そこで神道の話がでてくる関連性がわからない。神学と神道のあり方の違いと、産業革命のあり方を結び付けた解釈なのか?
・泡風呂をつくることはネイチャーテクノロジー。シャワーだけになるのは我慢?
←泡風呂も我慢では!?
でも、商売するためには我慢商品をつくらなければいけないという前提で考えないといけないから仕方ないのか。
そもそも、風呂嫌いな人が、泡風呂になったら風呂に入るのだろうか。あ、これは別次元の疑問だ。
・90代ヒアリング。そこに失ってはいけないものがあるはずだ
←最後は、そこ???
と、最初のほうは結構素直に楽しんでいたのですが、途中からはついクセで揚げ足とりをしながら聞いてしまいました。
改めて素直に考えると、先生が仰りたかったことは、
これからも、ものつくりをしていくためには、制約のある未来を想像し、そんな未来でも使用される何かを自然から学んでつくっていかなければならない。
制約という価値観を、新たなライフスタイルという価値観へ、技術によってスリカエを行わなければいけない。
「制約と育」を経て、濃密な時間を自然とともに過ごしているところに入っていかないと市場はない。でも入れれば市場はでかいよ。
ということでしょうか。
無いことへの喜びが前提されてないことが少し悲しかったです。
そういった中で、食糧まわりの仕事やエネルギーまわりの仕事をしている当社の強みに気付くことができました。
乱文失礼致します。

 

■ まず私が環境問題と認識していた事柄はリスクであり問題ではないということ、人間活動の肥大化が環境問題であるということが衝撃的でした。一度贅沢や快適さを知ってしまった人間に未来はあるのかと悲観的になりそうですが、そこに『楽しさワクワクドキドキ』というキーワードがあるので、救いがあります。
また、バックキャストの考え方は、知っていたのですがなかなか実践できず…です。今回お聞きした『報酬脳』という言葉を思い出して、私もトレーニングしていきたいと思います。
ありがとうございました。

 

■ 今まで参加した中で、最も記憶に残り、最も素敵な講演でした。
自然の持つ素晴らしいテクノロジーに、改めて感嘆すると共に、
これからの我々の取り組みが、試されているのだと、襟を正された気持ちになりました。
各テーブルでのディスカッションも、とても熱く、温度を感じられる場で
非常に興奮しました。
このような場を設定下さった片平さん他メンバーの方々にお礼申し上げます。

 

■ 視点の変わるお話、非常に興味深く拝聴いたしました。
残念なことに、30分程度の遅刻をしたため冒頭部分のお話を聞きそびれてしまいました。大変申し訳ありません。
前半のパワポの入手について、直接先生にお伺いしてもよろしいでしょうか?

 

■ 東京など特に最大都市圏での生活は「時間をお金で買う」ことが多く、一日にたくさんのことができた、或いは移動できた(回われた)が、満足に繋がっているように思える。
但し、一つのことに時間をかけていない分、思い入れも少なく、満足は消化してしまい、豊かさなどは感じられないだけでなく、想像以上のカロリーを浪費し、環境を悪化させていたことに衝撃を受けた。
また、環境を維持するためには何かを我慢しなければ、と考えていたが、バックキャスト的思考は明るい未来を期待させるもののように感じた。
但し、経済成長を土台に置かない、という前提にシフトしていくためには、相当なエネルギーが必要で教育とリーダーシップなくして実現は難しい気がする。
すぐに腹にストンと落ちるものではなかったが、制限されたものの中で実現していく思考を日常的にかつ、より多くの地球人が考えていく必要があるのだと感じた。

 

■ 今回の講演は、今までのレクチャーの中でも、自分自身の働き方や仕事(会社)のあるべき姿を考えなおすという意味で、とりわけ印象部会ものでした。
まず、私たちが仕事をしている目的が、人々がワクワクして暮らせる豊かさを作り出すことだ、と明言してくださったのが、とても心に刺さりました。本当にその通りで、その結果が売上や利益に結びついてくるものであるのに、どこかで順番が逆になりがちです。
またサステナブルという言葉を、「資源に過度な負担をかけない程度に人間活動を制約しながら、ワクワク心豊かに暮らせるように工夫する」と捉え直すことで、やるべきことが明確になるような気がします。
そして、完全介護と自給自足の間に、提供できる領域が広がっていると考えると、いろんな発想が湧いてきます。
未来に向かって、制約を楽しみながら新しい提案をしていきたいと、強く感じました。

 

■ まず素直に、非常にエキサイティングな話でした。小生は、微生物を研究開発し商品化している会社に所属していましたので、ある種の微生物が人間の健康や健全な地球環境づくりに果たしていることを多くの人に知ってほしいとの思いで企業内外での周知活動をしておりました。
よって、石田先生のバックキャストという考え方「自然に生かされ、自然を生かす」のお話を聞き、まさに合点でした。
範囲は少し狭くなり、一部対処療法の範疇の部類にもかもしれませんが、地球上には数限りなく多くの微生物がいます。その中にもいろいろな性質を持った微生物がいます。例えば熱水や硫化水素が噴出している環境や極寒など過酷な環境を好むモノ。また酸素を嫌うモノ。phの高い、もしくは低い環境を好むモノなど、人や動植物が全く住めないような環境下でも住むことのできる微生物が数多く発見されてきています。その中には、悪化していく地球環境を改善してくれる可能性のある微生物も数多く存在しています。要はこれら微生物それぞれの性格を逆利用し環境改善に生かそうということです。
例えば、汚染した河川や湖沼の土壌の浄化をしてくれる微生物。この微生物を使った浄化法はすでに一部実用化されています。しかしまだ環境汚染と言ってもいろいろなケースがあります。すべてに対応できているわけではありません。例えば空気汚染、放射能汚染など。今後研究が進めばひょっとして改善に役立つ有効な微生物が発見されるかもしれません。
もちろん人や動物植物の健康づくりに役立つ微生物もいます。例えば、コレラ、赤痢、疫痢、O-157などを退治する、また、体内のナチュラルキラー細胞を活性化し体の免疫機能を賦活し、感染症やがん細胞の発生予防、または治癒させる可能性の高いある種の乳酸菌などの微生物です。
要は、環境に対する負荷を軽減しようというエコでもなく、環境に負荷のかかる化学薬品などによる力づくの封じ込めでもなく、有機農法と同じように自然に存在するものの力を利用して、本来の自然を取り戻そうということに尽きるのでしょう。
とは言え、温暖化による気候変動や海面上昇、人口爆発による食糧問題、化石燃料の枯渇など、人類の未来にとって悩ましい現象が急速に進んでいます。
今すぐにでも国連を中心として「気候変動枠組条約締約国会議」や「国際エネルギー連盟」などの関係メンバーを巻き込み、バックキャスト発想へ転換させる必要があります。
さもないとこの環境悪化の流れを一気に変えることはまず不可能でしょう。いつまでも各国のエゴ「わかっちゃいるけどやめられない」では数百年後には人類絶滅の危機に陥ります。
是非、石田先生中心としてバックキャスト発想に共鳴する方々に、日本国に止まらず国際機関に対して発想転換を促し、各国の有能な科学者が一丸と技術開発を行うよう働きかけていただきたいものです。

 

■ 今回の講演から次の点を強く感じました
1 過激な環境保持論者、文明否定でなく、
永続のため未来の視点から
必要な技術を検討する考えは共感する。
ものづくりでは小改良のMMCでは
本質的に続かず、
新車の場合、上市予定の時代背景、
環境変化、経済状況、価値観を予測するので
同じ発想と考える。
技術はあくまでヒトに奉仕するもので、
革新的技術は未来から見た必要性の
観点で無いと、延長線の奉仕価値の少ない
ものになる
2 その鍵はヒトの心であり、技術者の眼の付け
どころとなる。
幅広い知識と豊かな教養、そして自らの考えの
立脚点を併せ持つことかと
考える
3 自然からの学びは、人間の知恵などまだまだ不十分
という認識に立てば
当然の行為であり、自然への畏敬、常に自省、
または我省(造語です)する
ことの必要性を感じざるを得ない
4 日本の精神性、過去の共生の解釈など
自ら熟考したい。
* 最後に日本人(それとケルト人ですか)の
素養の素晴らしさも
これだけ示唆するに「バックキャスト」や
「メタファ」など輸入語が使われるのは
比較・取り込み文化の日本の宿命とも感じました。

■ 予想を超えたお話の展開に、たいへん刺激を受けました。
課題をどう捉えるか、バックキャスティングとはどういうことか、理解が深まりました。
ありがとうございました。

 

■ ・お話の最初のところで、未来に対する断定的な表現に戸惑いがあった。
・しかし、最後に分かったのは、未来を一定に想定し、そこから現在に戻りながら修正勘案して、今度は未来へ向けてぶれない歩みをする、ということで得心がいった。
・石田氏の決断、毅然とした生活意識には脱帽せざるを得ない。考え方もさることながら、女々しさのない生き方に反省させられた。”