参加者の声                藁谷 篤邦 本田技術研究所 取締役 執行役員; 航空機エンジンR&Dセンター センター長 

■ ・ホンダ・スピリットが隠されていたようで残念。先輩の遺志を継ぐことを超えて、仕事の難解さを語るのではなくご自身のチャレンジの「根源」をお伺いしたかった。
・吉野さんはジェット・エンジンをやりたくて、(選んだのがなんでホンダなんだ、とは思ったが、)「思い」で邁進していたことが良く分かった。その意味では一世代から二世代の間に、ホンダも「ノーマル方向」に変わってきたということかもしれない。
・F1に限らずレースは、不都合があれば撤退できるが、ビジネスジェットでは一般ユーザーに頒布したとなると撤退は難しい。従来のホンダ的振る舞いが許されるかどうか、課題が残る。
・航空に参画することは次は宇宙であり、より発展するには軍事との関係を考える時が来そうだ。一方、民間ベースだとコマーシャル・フライトで米国最後の砦を落とすことになるので避けざるを得ない・・・・・悩ましい領域である。従って、米国民として振る舞うしか未来はないのだろうか。
・GMの幹部がプライベート(ビジネス)・ジェットでワシントンに出頭してひんしゅくを買ったことがあった。米国でも勝ち組の象徴で、庶民とは縁のないものというのが私にとってのオチとなる。
・現在のエンジニアの夢は、アップルやMSの世界や「下町ロケット」みたいなところに、飛んでいるのかもしれない。ロボットは誰でも参画できる流行りモノになってしまった。

 

■ *これまで全く日本のメーカーが手を付けなかった社独自開発の有様が
参加者 (目検討で50人強)に強い感銘を与えた
戦後 民間で機体・エンジンの両方の開発は日本どころか世界でも他には無いはず。

*自動車メーカー関係者の質問、主張も多かったが土俵が違いすぎ、議論にならない様相。

*開発者の生声の強さを改めて実感

 

■ つくづく、良い会社さんですよねぇ、羨ましい。軽くおっしゃってるけど、ほぼ30年ですよ!こんなに永く夢を見ることが許される組織って、ましてその間に貿易摩擦ありバブル崩壊あり失われた20年ありデジタル革命ありの3 decades、夢を見続けられる企業ってのは並大抵じゃないと思います。しかもちゃんと、果実にしている。

なんとか書き留めた最後のスライド、改めてシェアさせてください。
・高い志を持ち、夢を描く
・全社一丸となれる明確で高い目標を挙げる
・松明は自分の手で、必要な技術は自分の手で
・失敗を恐れるな、失敗から学べ
・Don’t ever give up. あきらめるな。あきらめたら、そこで終わる
■  久々に夢のあるお話でした。 考えてみれば、Hondaの企業としてのブランドイメージは、スーパーカブやCIVICなどの商品もありますが、むしろ利益に結びつかないモータースポーツ(モトGP、F1など)と、ASIMOやHonda Jetといったビジネスとしてはまだ成立していない活動から湧いて来る方が強いのではないか、と思い至りました。 やはり通常の商品開発では他社の同じカテゴリーとの比較の中で、ある程度の「差」はつけられても、比較できないほどの「違い」を持つ強いブランドを創るのは難しいわけで、その点競合のない新しい分野(ブルーオーシャン)か、あっても全く新しいアプローチで攻めるやり方は賢いと言えます。
とは言え、トヨタの飛行機やSONYのロボット、Hondaのソーラー事業のように、事業化の目処が立たなかったり、赤字を垂れ流したりすると、撤退せざるを得ないので、失敗のリスクは既存のドメインでの競争に比べはるかに大きくなります。 そんな中、よく30年間も続けられたなーと驚嘆します。
さすがにこのプロジェクトの長い歴史の中で、試験飛行の成功をもって終了、という危機もあったようですが、この時も外部からの応援があったから乗り切れたそうで、改めて“夢”の持つ力の大きさを実感しました。
正に“The Power of Dreams”
■ 信念に基づく行動を続けられたことが「無から有を生めた」のだと感じた。夢を見ることと、それを実現することでの成長がいかにエキサイティングなものか、日本人にあらためて教えてくれる事例だと思います。
■ 創業者の夢を現実に形にした取り組みは素晴らしいです。
苦難もたくさんあったと思いますが、ホンダの方々の「あきらめない姿勢」が結果となって表れたと思います。
ジェットエンジンへの情熱が伝わりました。安全性への取り組みにも感謝の思いです。
今回のセミナー受講で「自社の創業者の思い」をあらためて振り返る良い機会にもなりました。
■ 自動車のエンジンの仕組みと全く違い、それだけではシナジーを創出するのが難しいエンジンを選んでまで、航空分野への進出をあきらめなかったのはなぜか・・・最後まで疑問となった点でした。陸・海・空の交通手段をすべて手にすることが、会社全体にとってどんな意味をもつのか、ご説明や質疑の中でいくらか目指すところが出てはいましたが、もやもやが残ります。
そんなことよりも、技術者が自分の夢をあきらめないことで、その夢が実現した暁に違う地平が見えてきて、会社全体へのシナジーはその先に見つかるのかもしれないと考えたり。日本の経済発展を支えてきた、元祖ベンチャーにはそういうところがあったのかもしれないと思ったり。
翻って、現在の日本から画期的な製品・サービスが出ないのは、現在手にしている知識だけで新しい取り組みの効果を見切ってしまうところにもあるのではないかと感じました。これからは、説明責任を求められる大企業よりも、クラウドファンディングなど外の力を使って実現していくことの中に、日本の成長の可能性が残されているのかもしれません。

 

■ 私を含め皆さんすぐに、『どこが「HONNDAらしさ」なのか』にこだわってしまいますが、真っ只中にいらっしゃる 藁谷さんはその質問をどのような気持ちで受け止められたのでしょうか。開発や営業という職種でもHONNDAの中でも少し受け止め方が違うのかな、と思いました。
トヨタさんも航空機エンジンにチャレンジされていたとお聞きして、(私の想像を超える困難があったのでしょうが)やり遂げたところが、やはり「HONDAらしさ」なんだろうな、と勝手に納得していました。そしてやっぱりHONDAの方が好きだなと。。。
■ HONDAは、あきらめない。
この本当の意味を藁谷さんの開発ストーリーを聴いて納得しました。
エンジン開発から約30年もがんばり続けた技術者たちとそれを続けさせた経営陣のHONDAの懐の大きさも感じました。
講演では話しきれなかった数々の困難があったと思いますが
あきらめず新しい方法や生き残る術を考え、試し続けることが大事だと思いました。
これから事業化していく上で、アフターケアは一番大事かと思いました。車でも同じかもしれませんが、命を預かるものづくりの重みを感じます。
<翻ってICTも人の命に関ることが非常に多いです。 (電子カルテ、処方箋、防災システムなど)このような分野で働く以上は大きな覚悟と努力が必要という厳しさも感じます。>日本では大戦後、飛行機の技術者やパイロットが車産業などに流れたという話を思い出しました。
飛行機という夢のあるわくわくする乗り物に対しての熱い思いは今も昔も変わらないと感じます。
そして軍事転用はしない(GEはしたくてうずうずしているが)という方針は貫き通してほしいと切に願います。
海外のしたたかさに負けないようにがんばってほしいです。
またこのような開発ストーリーをきちんと世間、とくに若者や子どもたちに伝えていくことが必要ですね。
■ 新事業を着手する場合、市場規模や当社のポジショニング、採算性など慎重に検討するだろうし、投資額が多額であるなら尚更と思われるが、ホンダを始めトヨタや日産も飛行機エンジンの開発に携わってきたのは、経営者や技術者の夢や会社の存在意義みたいなものが大きな要因だったと感じたが、経営者が変わってもブレないものはズレないんだな、と感じた。
航空業界は市場規模こそ大きくはないとは言っていたが、日本企業が独自に入っていけるスキームにはなっていないこと、その一方で日本人には向いている、ということが印象的だった。
堕ちたら乗組員の殆どが亡くなる飛行機にとって、日本の技術が参入することで安全性の実績を重ね、いずれ誰もが参入を認めざるを得ない状況に変化していってほしいと感じた。
■ 高い志をもち、明確な目標にゴールするためには、「あきらめない」ことだ、と藁谷さん。「あきらめたらそこでおしまいですから。」とさらりと言われていたのが印象的であり、響くものがありました。1986年から研究開発を始めて28年、続けてこれたのは、まずは本人(たち)に「あきらめない」気概があればこそ成立するという、至極当然のことを気づかせて貰いました。
同じ敷地内、同じ食堂でメシを食う「中の人」なので滅多なことは申し上げられませんが、もはやこれまで、というようなピンチのとき、誰からともなく手助けをしてくれる仲間が現れ、異例の速さで間に合わすことができた、というエピソードも強ちフィクションではありません。四半世紀以上の長い間には、いろいろな危機的状況があったわけで、それでも利益にならない事業プロジェクトを続けるとはフツーの会社ならとっくに止めているのではないでしょうか。これは結局のところ、歴代の経営陣も「やりたいから、やる」のであって、損得勘定からは出てこない答えです。ステークホルダーをも含めてそれを容認してしまう暗黙の一体感のような雰囲気がこの会社にはあると思うのです。プロフィットオーガニゼーションである以上、最後には収益に繋がらなければなりませんが、ここでも「あきらめない」想いの共有があればこそ、ゼロスタートで市場もない日本から世界に向けてエンジンと機体を同時に開発し、米国の厳しい認定を取得し、量産体制を整えつつある。というところまでこれたのではないでしょうか。
これからは新たなフェーズとして、ビジネスとして収益に繋げるとともに、この素晴らしきヒコーキ野郎どもを世の方々に如何に正しく理解して頂くかもまた、この会社の課題なのだと思うのです。