■ 片平さんの「企業の体臭」、いつもながらとても示唆に富むお話でした。
お話の間中、「体臭はどうやって作られるか?」から始まり、「どうやって体臭を出すか?」について考えていました。(片平先生の図では、「言葉→実践」の部分に当たるでしょうか)
体臭の種類を決定し、出していくものが“器官”(企業の思い・理念・言葉)だとすれば、“器官”から“体臭”を出させるものは“汗”であり、その“(体臭を持った)汗”は“(その企業独特の)活動(の繰り返し)”で出る、と言えると思います。
とすれば、体臭を出すために大切なのは、「その企業独特の活動パターンを如何に繰り返すか」ということのように思います。
ジョンソン&ジョンソンの「タイレノール独物混入事件」における対応のように、非常時には“言葉(信念)”→“実践”の繋がりはより直接的でより明確になりますが、体臭を生み出すベースになる“平時の活動”においては、“言葉(信念)”からブレークダウンされた、その企業独特の“行動パターン(信念を意識せずとも、自然に信念に沿う行動をとれる方法)”が必要のように考えました。(言葉→行動パターン→実践)
では、その行動パターンはどうやって作るのか、採算性との関係は・・・
そんなことを考えていたら、頭がまとまらず、質問も出来ずにおりました。(^^ゞ
体臭を出す会社の実現。
つまり、言葉と実践をつなげることが自分の使命と考えています。
未だまだ結論は出ていませんが、これからこのテーマを真剣に考えていきたいと思います。
■ 今回はタイトルからして、新鮮な魅力・驚きが感じられなかったのが残念でした。
しかし、ブランドの持つ「らしさ」を「体臭」というアクの強い言葉で表現された真意が、私なりに少し理解できた気がしました。
これは犬が自分の存在をアピールするために、電柱などにオシッコを引っかけて回るのと同じではないか・・・と。
ただ、臭いに関しては洗剤と柔軟剤の香りがバッティングしていやな臭いになる事が嫌われたり、職場での「スメハラ」も問題になったりして、欧米人と違って日本人は強い臭いはあまり好まないのではないか、とも思います。
無印良品のケースは「無臭」である事が逆に一つの「体臭」として、欧米人にも受けているのかも知れませんが。
一方、日本的で控えめな「体臭」は万人受けはしても、熱烈な(例えばスバリストのような)ファンを持つ強いブランドを作る事は出来ないのだろうな、と理解しました。 また「固有名詞」の話は、MHDのシニアブランドマネジャーである鷲頭さんが、正に「歩く固有名詞」だと実感しました。
■ Think global, Act local から, Think global Act globalへ
― 相手への想い、誇りある仕事、挑戦が、ブランドに好意、尊敬、上向きを生む
スマートフォンの開発競争は、今、グローバルイノベーションを牽引しているものの一つではないかと思いますが、グーグルのアンドロイド端末の次期開発コードが「KitKat」になりました。開発コードは、開発者にとっては強い想いのあるものではないかと思います。(開発コードはその分命名に関しては、開発者のものであることが多く、自由度が高いのではないかと思います。)
アンドロイド開発チームが次期開発コード名で迷っていたとき、机の上にキットカットがおいてあり、冗談でキットカットはどうだということになり、ネスレが許すわけがないといいながらも、問い合わせたところ、一晩で本社がOKを出したという逸話つきの話も流れていました。
このようなコラボレーションは、机上の戦略からは、生まれにくいのではないでしょうか。技術や製品のスペックより、クリエイティビティが求められる時代になっているからかもしれません。開発者が大好きなチョコレートとアンドロイドの挑戦への好意。ロジカルな戦略というより、まさに恋愛のようなロジックで、このコラボレーションでの金銭のやりとりも無いとも報じられています。
作られた話かどうかは私には分かりませんが、形のないデジタルの創作物の固有名詞とチョコレートの固有名詞がコレボレーションをする時代になったのかと思うと不思議な感触があります。
内から湧いてくるもの、固有名詞のある仕事等、本日の片平先生のお話と重なるのではないかと思う事例が、最先端分野で起こってくる、予見的な感覚の中でお話しを伺いました。
ご参考
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1309/04/news026.html
2013年09月04日
Android 4.4のコードネームは「KitKat」
ネスレから特別版キットカット発売も
Googleの次期Androidのコードネームはうわさされていた「Key Lime Pie(キーライムパイ)」ではなく、Nestleの人気チョコバー「KitKat」になった。
■ 本年1月ポッカとサッポロは経営統合して新しい飲料食品会社を立ち上げました。私自身、統合の準備段階からポッカの社風、歴史、人々に触れる中で、少なからぬ驚きと刺激を受けています。
サッポロは、「らしさ」にこだわる社風です。
「体臭」までに至っていないかもしれませんが、異常なまでにビールを愛する社員集団は、十分に「変な」人たちです。モノづくりへのこだわりは、時にスペックを突き抜けます。
世界各地の2,300軒の生産者の畑に社員が直接赴いて安全と品質を確認する協働契約栽培を、麦芽とホップで100%実現するなんて、世界のビールメーカーで誰もやっていないことです。(もったいないことに、ブランド資産になってはいないのですが。)
一方、私自身は、経営から「サッポロらしいCSRを」と言われ、社内外の関係者を訪ね歩き、徹底した議論を重ねて、道を見失いました。
幻の「らしさの木」を求めて「らしさの森」に迷い込んだのです。
ブランド戦略も時として同様に、「黒ラベルらしさ」(これも幻かもしれません)を求めて「らしさの呪縛」に陥ったりしています。
そんな時に知ったポッカの歴史は、「らしさ」にこだわらず、It won’t be pretty(nor smart)にやってきたように感じられ新鮮でした。
片平さんにもご紹介いただいたとおり、ポッカはシンガポールで緑茶飲料では約65%のシェアを占めるトップメーカーです。
これは、徹底して「Act Local」に現地のお客様のニーズに応える商品開発に取り組み、マーケティング・販売を行った結果でしょう。
主力商品は「甘い緑茶」であり、日本と同一ブランド、例えばレモン商品を展開しようとはしていません。
ブランドという口座への投資効率から考えれば、もったいないこと、この上ありません。
国内も然り。レモンを中心とした飲料のブランド確立を目指す一方で、一見何のシナジーもないスープ市場に乗り出しています。
ご紹介した通り、重量物である飲料水を重さ一杯まで積んでもトラックやコンテナの上が空いている、何とかせよ、という経営の要請が、そのきっかけです。
眠気覚ましのコーヒーを飲もうと立ち寄ったサービスエリアで再びハンドルを握るまでの30分を惜しいと思った創業者。
車の中で飲めるコーヒー、しかも夏は冷たく、冬は暖かいものが欲しいと、冷蔵庫メーカーであるサンデンと日本初、いや世界初か、Hot&Coldの自動販売機を開発してしまいました。
外で飲める温かい飲み物は、湯煎の瓶入り牛乳位だった当時、全く画期的な発想でした。特許、いやせめて実用新案くらいは取っておいてほしかった。
他にも、業界初の缶入りおでん、缶入りお汁粉と、ブランド論からは考えられないチャレンジを行っています。
うまく行かなかったことも多いでしょうが、「何とかならないか」「何とかしたい」という必死の気持ちが強かったものが残ったような気がします。
世の中には「どうにもならない」ものがあることも事実ですが、「何とかなる」「何とかする」という執念が道を拓くように感じます。
アジアで、商品開発は徹底した現地仕様に寄り添ったポッカも、品質は日本品質にこだわりました。
その結果、日本や海外の同業他社から「怖くて他には頼めない」と次々に製造を委託されるようになり、隣国マレーシアに受託製造会社を作るに至りました。
商品ブランドではありませんが、日本品質というブランドが事業を生み、収益をもたらしたと説明できるかもしれません。
以上、やっぱり未整理なお話しでした。
■ 何がヤクルトなのか?
・創業者代田稔博士の発見したひとの健康に役立つ乳酸菌を普及し、世界の人々に健康になっていただくことを目的とした会社。
・普及とは、双方向のコミュニケーションにより、乳酸菌を飲用す るという習慣のない人々に、良い乳酸菌を飲んで腸を健康にする ことが長寿につながる(健腸長寿)ということを理解し、愛飲し ていただくこと。
・これらの活動を事業として、今のヤクルトがあります。会社の中 長期計画や新記事業開発を担当するにあたり、どうしても近代的 な経営学や、事業を革新していこうというところに目が行きがち ですが、体臭を大切にし、若きメンバーと議論を尽くそうと思 いました。
・先輩たちが培ってきた体臭の元を理解すれば、行く先の答えが見 つかるのではないかと思いつつ、昨日のMBFを話題にメンバーと 雑談をしているところであります。
「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」(芭蕉)
■ 冒頭、いつもより少し切れ味が乏しいか?と思っていたけど、だんだんボディーブローのように得心が深まっていった。国ごとの嗜好性の違いとかの問題ではなく、企業の心底にある理念・・・理念の理念たるメタ理念・・・みたいなものを世界中で共有すべし、と理解した。だから「器官」から出てくる「体臭」なんですね。
手元のメモ書きに「思い=My passion」「想い=Your happiness」と書いてある。われながら中々のワーディング(僭越千万、自画自賛)。
■ 片平さんのお話は、毎回新しい視点を与えてくれる要素が入っていて、楽しみにしております。今回「固有名詞のある仕事」というお話がありましたが、僕はここに関しては、少し疑問です。企業に対する親近感や愛着は、企業という無機質な存在に「人格」を感じたときに増すと考えています。そういう意味では、その企業やブランドを代表する固有名詞が前面に出てきた方が「なるほどね…」と理解して愛着を持ちやすいとは思います。一方で、あまり固有名詞が前面に出すぎてしまうと、世代交代が非常に難しくなると思います。宮崎監督が引退したあとのジブリはかなり心配です。原田さんがいなくなったあとのマクドナルドは、かなりうまく行ってると思います。原田さんは「経営者のやる一番重要なことは、後継ぎを育てて、自分がいつ辞めるかを常に考えることだ」とおっしゃっていたので、その重要性をとても理解されていると思います。そこらへんについて、片平さんのお考えを聞きたいです。
■ ブランドの体臭という視点に共感するとともに、「らしさ」とはなにか、考えさせられました。
その中で、杉本さんの「無印良品とは何かをいつも議論し続けている。正解はない。議論し続けるから生まれてくる」という言葉にヒントがあるように感じました。
ただ世界で同じコミュニケーションが必要であるという点には疑問もを感じました。ブランドにはいくつか種類があり、
1.圧倒的な性能もしくはデザインの違いで他を圧倒するもの(例・ハーレーダビッドソン、ヤクルト)
2.強い原産国イメージと結びついているもの(例・コカコーラ、ルイヴィトン、キッコーマン)
3.どちらも持たないもの
1または2であれば体臭をもち、世界で共通するコミュニケーションが可能だが、ほとんどのブランドは3。ブランドイメージは、そもそも受け手側に権利があるのだから、いかに発信側がある体臭をこめようとしても、3のケースではひとりよがりになりがち。
無論1や2を目指すべきという主張は理解できるが、食品などの、世界で流通するブランド間に差異性が少なく、価格も安いカテゴリーは、消費者側の関与度が低いため体臭への納得性を得ることはかなり困難だと思いました。(たとえば日本のビール)。ガラパゴスの日本で強いブランドをそのまま世界に持って行っても通用しないと感じます。
余談ですが、ポッカの開発の事例にはとても「体臭」を感じました。商品にその「体臭」が表れていないのはもったいないですね。
■ 片平さんの毎期の基調講演はフォーラムの祝詞でもあり、繰り返しであってもいつも忘れないようにという意味で勉強になります。前段の部分はよりシンプルさが増していて本質的です。
強いブランドとは:好かれて尊敬されていること。その好意と尊敬が上向きであること。まさにこれですね。
そして強いブランドに優れたマネジメントが加わって利益が生まれ、好循環が続くのだと考えます。
その場合、ブランド体臭は必ず必要なのでしょうか?ブランド体臭についてはピンとこないところがあるのは目的ではなく、結果のような気がしているからです。「体臭」というよりも「らしさ」のほうが私にはすっきりします。極端に言えば、体臭がないことも「らしさ」であって、これがユーザーに好まれることもあるのではないでしょうか。
■ 確かに「常連さん」にとっては今回のお話は「いつものあれ」であったかも知れません。しかしこれもまた、前回の松浦さんのお話と同様に「一般論」で括ってしまっては思考停止ではないでしょうか。
片平さんのお話は(論)はブランドの本質とは何かという追及なのですから、いつも同じ話であるのは至極当然の成り行きなのではないでしょうか。本質は突き詰めればそう幾つもあるものではないはずです。タームの初めにいつもの話をすることによって、基本に返り、自説や仮説を検証し確認しブレのない一歩を踏み出すためのマイルストーンとなっている と感じました。
片平さんは独特のたとえを用いて我々に本質を気づかせようとしてくれます。
例えば今回、「祝詞」<ノリト>という言葉を使われていましたが、専門用語的に言えば「ブランド・ステートメント」ですから、「体臭」もそれに倣えば「ブランド・アイデンティティー」のことを指しているのではないでしょうか。
ではブランド・アイデンティティーは如何なるものによって形成されるか?
体臭はなぜ人それぞれなのか?なぜよその家に行くとちょっとくさいのか(笑)?
体臭は生まれや育った環境、食べ物、その家庭の臭いによっても形成されるかもしれません。これはその人が世界のどこに行っても簡単には変わらないものです。
ただ、永くそこに住むとなれば変わってくる部分もあるでしょう。
グローバル化とは何か?ローカリゼーションとは何か?どっちがいいのか?答えは企業の数だけ、ブランドの数だけあっていい。
「何が()かということを議論し続けていかなければならない。」この態度こそがそれぞれの扉を開く鍵となるでしょう。
MBF Lecturesは何かを教えてくれるところではなく自ら考えるきっかけを提供してくれる場です。
どう受け止めるかは、実は我々自身の本質に向き合う態度によって変わってくるものなのです。
聴いて思って考えて自説を築いていけばいいのでは、と考えるようになりました。
■ グローバルなブランディングを考える場合、今回の2020年オリンピックの東京招致活動が非常に面白い例を示して切れたと思う。この招致活動は、今まで謙虚で礼儀正しく無臭なイメージの強かった日本のイメージを、一変させた出来事であったと思う。場外では各国の委員に対して当たらず、障らず、かといって何度も、しかし嫌がられず、など巧みなロビー活動を展開し、多くのファンづくりに成功。本番では、プレゼンテーター全員がニッポン臭をプンプンさせながらたゆまぬ微笑みとジェスチャーたっぷりに日本の素晴らしさ、人間愛、スポーツの素晴らしさを語り、おまけに全員必ず胸に手を添えるというシンボルアクションで印象付ける。これで各国の委員の心を鷲掴み。グローバルで戦うということはこうゆうことかということを我々に知らしめただけでも大きな意味があった。まさしく日本ブランディングである。
今までの典型的日本人からすれば、なんという「臭い芝居」などと揶揄するのが落ちだったのではないだろうか。
今からは、日本人としての誇りと、誠実さ、思いやりを基盤に、文化、歴史、そして得意とする先端技術などを体臭をぷんぷんさせながら発信しなければならない。と思った。
と思いつつも、余談ではあるが、日本文化や、歴史を外国の方に理解していただくにはそれなりの素養がなければならない。今の教育システムではきちんと歴史や文化を学ぶ機会が失われつつある。入試では歴史は選択科目、学ぶとしても、年号と出来事の詰込み記憶型教育ではよきプレゼンテーターは育たない。世界の動きと日本の動きをリンクさせながらストーリーとして学べるようにすべきである。
■今回の片平さん講演も、変人FB上では、色々と覚醒してました。MBFらしい体臭だったので、「体臭」と言う言葉に、多くの人が感じたのではと察しています。
昨今のMKT現場では、ブランドを論じるより、企業が十分な利益得て、社会の公器となり、従業員が誇れ、満足度も高い。これを目指す為に、「何をやるのか」的なスタンスに立っているように感じます。「ガリガリくん」「サッポロ一番」カテゴリーリーダーとして安定的な売り上げを確保していますが、企業認知度は非常に低い。夕張メロン、破綻した産地ですが、メロンの代名詞。素人には全く理解出来ない、刃物は関等々。ブランドは、企業、従業員、消費者、社会など、関係する世界が握手した瞬間から成立するように思えます。いち消費者は、何から何まで、ブランドにこだわった消費ではなく、「自分らしさ」と「その商品のらしさ」が同期、これが、「体臭の共有」=マイブランドになるように思えます。
ネスレ社長の「値上げできるのがブランド」と言うコメントが回想され、体臭が共有化されたら、金銭面など無関係なんですね。
■ 片平さんの1クールは基本的に片平氏のつぶやきで始まる訳ですが、その日が一番印象的であることが多く、これまで第一日目に私も幾つかヒントや気付きを得てきました。
ただ今回は、実は現役を離れて段々鈍くなっているせいかもしれません、いささか感じるところが希薄でした。
幾つかのキーワードが有った中で、特に挙げるとすれば「臭い」、「体臭」になると思います。
如何に臭いが強いか、且つ、「集団」の「個々」にも「その臭いが貫かれていること」が重要であるということになります。
しかし、確かにブランドを見る目、観察する立場、好きになったり嫌ったりする立場からはその通りかもしれないけれど、内部では相当な格闘が有り違う臭いが争っている、(経験的には)むしろ争いが保証されている組織であるほど活気が有り、最終的には勝ち抜いていくように思えます。
それにもかかわらず、オーディエンスには強く「らしい」匂いを放つのだとすれば何故でしょうか。
実は、自分の出身組織の記憶を反芻しながら、答えを見つけられずにいます。
以前、「ブランドのミルフィーユ化」という話をしたことが有ります。これは未だに私の整理すべき「ブランド論」の一つであり(*ミルフィーユで有る事は悪いことばかりではない。或る場合には補完的に必要でさえある。)、同時にチャネル論やコンシューマー・ユーザーとのコミニュケーションについての見方・在り方にもつながります。1970年代以降これまで30~40年くらいを掛けながら解決されていないT社の流通形態(マーケティング)戦略の全貌を俯瞰し、批判的に検討することにもなります。
「強い体臭」が有る事の重要性と、その規模や商品特性によって「強い体臭」が単一ではなく「幾つか併存する」ことの両立は出来ないのでしょうか。更に後者が成立するとすれば、むしろ、「強い体臭」と「(存在感のある)弱い体臭」とか「爽やかな体臭」の併存は有り得ないのか、といったことが想起されます。
益々片平氏の言いたいことから離れてしまうのかもしれませんが、もう少し議論を深化し理解を深め合う必要が有りそうです。
■ 今回は片平先生直々の講義を拝聴させていただき、ありがとうございました。
今回のご講義のキーワードの1つ思われる「体臭」ですが、あえて「日本らしさ」とこだわる必要があるのか、という点を講義後も考えてしまいました。
体臭とは、その会社らしさというか、他の会社がない独特のカラーをいうように思えましたが、例えばPokkaの甘いお茶が海外で売れていることが日本らしい?ダイソーが日本らしい?と言われると、本当にそうなのか?と思わせる気がします。
世界が日本自体をブランド化しているならまだしも、決して今はそうではないのであれば、なおさらです。
現状では非常に寂しいことですが、2020年は嫌でも注目を浴びる格好の舞台となるため、機運は決して悪くはないはずです。
日本の価値を上げることができれば、日本らしさというスパイスがもっとそそる体臭になっていくものではないかと感じました。
■ ブランドを預かる者の行動として、「相手への想いがある」「誇りのある」仕事をすることが挙げられていて、強く印象に残りました。顧客は「個人」であり、顧客に応対する「私」も組織を代表する「個人」です。固有名詞のある仕事を心掛けなければ、ブランドを預かる資格はないと感じました。
顧客は、ブランドを体現している「組織」と「個人」を重ねるように見ているので、私自身も自立かつ自律して、仕事をしようと思います。
■ 強いブランドについてP&Gやハーレーダビットソンなど具体例を挙げて解説をして頂いたので、わかりやすく学ぶことができた。
今回の講演で学んだことを活かすためにも、今後、仕事を進める中で、「ブランド作り」や「らしさ」といったことを考えながら業務を進めていきたいと思った。”,,