第2回 「ブランド=現在と未来の差別化」
河野透(元ソニー)・山口誠志(ソナー)
■ SONYさんの商品開発はプロダクトプランニングの時点からコミュニケーション案まで提示されるということが素晴らしいと思った。その時点で販売部門と開発部門が売れるイメージを共有できれば、発売後に見込み違いの数量しか出ない・・・というよくある揉め事も少なくなるのでは、と感じた。
■ 今朝の産経新聞にちょうどカリスマ経営者とその後継経営者の 記事が出ておりました。
ブランドが経営品質哲学、という今日のご指摘は非常に共感できるのですが、これから日本が中韓との価格競争に巻き込まれないためのブランドの高いプロダクト&サービスを生み出すにあたって
必要なことが何か、これをきっかけにあらためて自ら考え、実践していかねばと思いました。1つのヒントはSteve Jobsが最大のライバルと見ていたSONYがプロダクトの垂直統合ができず、ネット音楽販売に着手が遅れ、アップルが大きくリードしたという事実です。
社内を、「横断的に」「顧客接点で新たな価値を見出す」 「思い切った判断」で取り組まない限り、投資対効果の呪縛に縛られ今の状況から抜け出せない、という気がしました。
その意味では、欧米の経営はトップがリバイアサン的に仕事が可能な権限が与えられ、「責任をもって投資をし判断」ができる。
ここがブランドを磨き続けることができる違いかなと感じました。
■そもそも、メーカーが顧客に届けたいものとは、“モノ”ではなく、“モノ”を通じた“Life(=幸せ)”である。
そんな当たり前のことを、改めて、いや(実感的には)初めてリアルに思い知らされた気がしました。
顧客に、「モノを通じたLife(=幸せ)」を実感してもらうためには、その”モノ“が新しいものである場合、当然「解説(=情報)」が必要。つまり、「情報」がセットでなければ、その企業の(そのモノを届けたい)思いが伝わらない。その意味で、「情報」は「商品」の外側にあるものではなく、その一部ということになります。商品が”Unique”なものであったからこそ、SONY(河野氏)はそのことを理解し実践され、その圧倒的な「情報」の蓄積が、個々の”モノ“を超えて、SONYを「ブランド」にしたのではないかと思います。(「ブランド」が心の作用なので、その形成のためには、”モノ“だけでなく、そのことを意味づけ(解釈)する言葉(=情報)が必要だからです)
そして、もう1点。
メーカーが、本来売りたいものは「モノを通じたLife(=幸せ)」だとすれば、今は、そのことを忘れ?(気づかず?)、”モノ“だけを売ろうとする企業の如何に多いことか。
”モノ“だけを売ろうとすれば、スペック等比較が容易になり、結局、価格競争になる。
SONYが「利益率」をブランドの指標にされたのは、「顧客と流通に“値引きされない”こと」=モノだけで推し量れない価値が顧客に伝わっているかの指標とされていたのではないかと思いました。
少なくとも、利益率を稼ぐために、ブランド化を図ったのではないこと(全く逆の論理)は、河野さんに質問させていただいて、本当に良く理解できたように思います。
■ ・主張=思い込み・一人よがり・クレイジーでよい。
・全ての人に好かれるクルマは、誰一人として熱狂させることはできない! BMW という点が印象に残ってます。
また、それが、河野さんが、昔の上司、先輩方に言われた『おまえは頑固だからな』と言われた由縁であると・・・
それを社内で通すための作戦としては?と質問があったと思うのですが、その際に、河野さんが言っていた 『社内でファンを作ること、とりこにすることが大切、必要である』と・・・
それと最後に言っていた
『自分はこの場、ここでしか生きないという感覚、自分の領域を大切にする。自分はこうだから・・・』
という言葉・・・
今後業務を進めていく上で、大変勉強になりました。
ありがとうございました。
■ 今回は本を読んで抱いていた河野さんのイメージ(本読)と本物とのギャップに驚きました。 実は本を読んだ時には、片平さんが絶賛されていたほどには感銘を受けず、色々細かい気づきは得たものの、何か独善的で尊大な人物との先入観を持っていましたが、直接ご本人のお話を伺うと、印象が一変! 説明の一つ一つが心に沁みるように共感でき、山口さん(検事役?)との対比もあってオーラさえ感じました。 やはり「ソニーのふり見て・・・」は「プロジェクトX」同様、山口さんのシナリオに沿って誘導尋問が行われ、結果もシナリオどおりにまとめた感があって、正に厚労省の村木さん状態だったのだと見受けられました。
お話の中身としては、特に片平さんが強調されていた「ブランド=利益率、高いパリティ」はブランドの本質ではなく、結果としてついてくる余禄だと、納得しました。
またマーケティングとブランディングをあれほど明確に区別(というより対比)して定義されたのも、目ウロコでした。 やはり量を売って利益を追求するマーケティングのツールとしてブランドを使うのは間違ってる(販促技?)ですね。
いずれにせよ、SONYもHondaも似たようなDNAを持っていて、全方位で優等生のNo.1企業ではなく、チャレンジャーとしてのペルソナ・ふるまいこそがブランドを輝かせるのではないか、と思いました。
■ 今回のお話はとっても勉強になりました。
「優等生じゃなくていい」「ウリは1点に絞る」など、頭ではわかっていても、実際の活動になると、なかなか出来ないこと。
マーケティング思考は歴史もあり論理も確立されていて、それに対するブランディング思考は感覚だから「目利き」であることが重要というのも、全て現在の悩みに当てはまる話でした。
一方で、その目利きを育てる文化、目利きを尊重する文化を企業の中に作り上げていくのは、特に現時点ではマーケティング思考の会社にとっては大変なことだな…というのも改めて感じました。片平さんのように、繰り返し本を読んでみて、弊社のプロジェクトチームのメンバーにも読ませるようにしたいと思います。
■ 教科書通りには進まないブランドの仕事は、ケースから学ぶしか無いと考え始めておりました。まさに意を得た書籍&講演内容だったと、出会えた幸運を嬉しく感じます。
成功に加え、その後の下降(失礼)も通り抜けた ソニー という事例も絶妙ですね。もっと潜り込むことで色々と見えてきそうだと感じます。
■ 昨日は、山口さんと河野さんの熱量と質量を持った言葉で語られる「ソニーのふり見て、我がふり直せ」を堪能させていただきました。素晴らしい企画をありがとうございます。
講演後の懇親会で河野さんとお話した内容から感じた点を、3つばかり書かせていただきます。
1. ブランドと顧客の共犯関係
従来のブランドと顧客の関係は、「売り手」と「買い手」である。売り手であるブランドは買い手である顧客のインサイトを探り、そのアンメットニーズを満たす提供をするのが基本だ。そこにあるのは、能動的な送り手と受動的な受け手という、埋めようのない温度差のある力関係である。
しかし、ソニーと顧客の関係は違う。彼らは共犯者である。
「こんなことになったら楽しいよね」という共通の感性と情熱で結ばれた、ある意味対等な関係であり、ブランドを共に作っていく協働者だ。だからこそ、「ソニーは洒落ていて鋭くなくてはいけない」とわざわざ指摘をしてくるお客様がいる。それは、製品やサービスに対するクレームとは質的に全く異なるフィードバックで、むしろブランド管理者の視点による発言であると言える。そして、ソニーはそれに対して、「ここまで必要なのか?」というオーバーアチーブメントな製品で応えるのだ。必要だからそうするわけではない、そうした方がソニーらしいから、である。そうすることでソニーの(広告を含んだ)製品は、表面的なメッセージの裏で、共犯者になれる人間にしか受信できないメタ・メッセージを確信犯的に発信してきたのだ。10%の潜在的共犯者にだけ届く秘密の暗号を。
自ブランドの共犯者をいかに絞り込み、見つけ、そして彼らにだけ分かる暗号を発信していくのか。どのブランドにとっても大きなチャレンジだが、それができれば顧客との真の絆、「共犯」という絶対的なロイヤルティの形成という大きな見返りが待っているだろう。
2. デジタルを極めるとアナログに
デジタルの爆発的な進化によって、様々なことができるようになった。
しかし、それを使う人間の方は進化しているわけではないので、複雑で膨大な機能を使いこなすための、簡単なインターフェースが必要になってくる。
つまり、デジタルの技術が進めば進むほど、インターフェースはアナログになっていくということだ。
複雑なコンピュータープログラミングができなくても、今ではタッチパネルや音声認識で簡単に操作ができる。
そうしたら河野さんがおっしゃった。
「そんなのはアラビアンナイトの時代からあるんですよ。『開けゴマ!』ってね。」
さすがの鮮やかな一刀両断。鳴り物入りで登場したiPhoneの音声アシスタントシステムSiriも、とどのつまりは「開けゴマ」だし、スマホをタッチして呼び出すiコンシェルなんていうのは、さしずめランプをこすったら出てきて何でも願いを叶えてくれる魔人のようなものか。遥か昔のペルシャで、風に吹かれながら空飛ぶ絨毯やランプの魔人を夢想した詩人たちのイマジネーションに思いを馳せると、なるほど技術は大層進歩したが、我々の想像力と創造力はどれだけ進化したのだろうかと考えてしまう。
3. 体感を通じた継承
変革の正統化―『ソニーのふり見て、我がふり直せ』の最後を飾るテーマである。
大きくガラッと変えながら、しかもこれが本当なんだと打ち出していくことができず、形式だけを継承して自己模倣に陥る企業/ブランドは数多い。見た目の形は合っているので、何となく「それっぽい」のだが、なぜその形でなくてはならないのかという理が見えないので、どうにも薄っぺらいのだ。究極的には、そのブランドがこの世に存在する意義は何なのかという大きな軸のもとに、「これはあり」、「これはなし」を判じていけば、「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」という、本質を保ちながら変わっていくことが可能なのだろう。この「あり」「なし」を勘と感でジャッジできる肌感覚を継承すること、それが変革の正統化につながるように思われる。
河野さんからお聞きしたエピソードが印象深い。「これはギリギリどうかな、というのを出すと、必ず大賀さんから『これは何だ』突っ込みが入った。」
正に肌感覚でブランドを共有するお二人が、ともすれば曖昧になるブランドの輪郭を研ぎ澄まし続けてきた様子が伺える。「ギリギリどうかな」、「これは何だ」を重ねることで、ブランドの形をハッキリさせる。これは何だを押しのけてギリギリやってみて、その中には「やっぱりこれはなかったな」と後で思うものもあるかもしれない。そういうものはブランドが生きている限り避けようはない。それは、鍋のアクを取り除くように、丁寧に根気良く取り除いていくしかないのだ。しかし、そのギリギリを問い続けることと、それでも発生するブランドを濁らす不純物を絶えず丁寧に取り除いていくという行為こそがブランドの作法であり、変革を正統化していく唯一の手段なのではないだろうか。
■ いやぁ面白かった!やっぱ、実際にブランド磨いてきた本人の話をライブで聞くと、凄みがありますね。
でも、本当にすごいのは、実は山口さんだと思う。河野さんというビッグネームの口を借りて、結局は自分の言いたいことを活字にして、また話してるんだもの。ブランドは広告屋が小銭を稼ぐ小道具なんかじゃない。付加価値を金にする(つまりアフリカや南アでなくマーケティングが必要なぐらいの)資本主義社会では、必須の経済要素なんだ。理屈や綺麗ごとでない、本音の迫力を感じましたです。
河野さんの森林活動も、心に留めていきたいです。吉田就彦先生と言い、ヒットを作ってきた人って、なんか「森」に帰結するんですね。植物って不思議。
■ 今回は巡り廻って「なるほど」「やっぱり」「そうだったのか!」と色々自分なりに考えて、またひとつ理解が深まった気がしています。
片平さんが「課題図書」といっておられたことが洒落ではなかったことも納得です。アンチョコみたいに答えが書いてあるわけでなく、自分で読み解き、自分(のカイシャ)にあてはめて考えて、自分の意見に昇華させること。そんな格好の教材であり、良書である、と思いました。
さてセッション本編の感想を少し、前述のように私の中では既に粗方の解釈が出来上がっていたので、本編は河野さん山口さんから直接拝聴するという接触体験と、解釈の確認作業となりました。メモをとっていて(おこがましいのですが)「あれ?このこと前にカイシャで自分で書いたよな?」と思う節がいくつかあり、内心ニヤニヤ。
共感と期待
敬意と感謝
長期に持続
生涯顧客の確保
心からの関係
一目でそれとわかる
この指とまれ、雪だるまの玉、
・・・・・
誰か一人を喜ばせる、それは誰?
盛田さんや大賀さんなきあとSONYは誰を喜ばそうとしたのか?
振り返って、本田宗一郎なきあとHondaは誰を喜ばそうとしているのか?
山口さんの分析、SONYができなかったこと。
社員をブランドで縛る(白物逃避)
企業の振る舞い(更新か堅持か)
変化の正当化(受け継ぎつつ、王道化)
・・・・
「ソニーのふり見て我がふり直せ。」・・・なんですね。
懇親会にて、(河野さん在籍時代の)ソニー社員はブランドとどう対峙していたのか?「ブランド」を意識していたのか?と質問、「いや、全然!」と即答。そうですよね。すべてが腹落ちしました。
本質部分では社内に向けては合意形成をする必要がなかった。のだと思います。
今回は素晴らしい教材を得て、本当に良い勉強になりました。実務に活かす手ごたえを感じています。
おわりに
ブランドの品質=企業の経営哲学品質。<-これ使えますね!
頂きます!
ゼミレポートとしては落第でしょうがこれにて感想に代えさせていただきます。ありがとうございました!
■ 非常にワクワクさせて頂きました。ブランド論的な指南、示唆などと感想を述べたら、現役の頃であれば、間違いなく出入り禁止ではと、ただただ、感じる次第です。
書籍の終わり辺りで、河野さんが「体験と理解を手がかりにして、何かの縁でつながった人々が森に集う。それをきっかけに新しい何かを発見できればいいと思ってさ」とのコメント、山口さんは河野さんの「ソニー流」と評されていましたが、演目の中から感じた事が、すべて、この一文に凝縮されていると強く感じました。失礼ながら「森」をSONYに置き換えると、何とすんなり収まる事か。こんな時代だからこそ、河野さんからの伝承を、今度は私たちが創造していく番ではと、課題書の精読に努めています。
河野さん、山口さん、「何かの縁でつながった事」、感謝、感謝です。ありがとうございました。
■ どなたかが質問された際に(西岡さん?)「ソニーがこんなことになっちゃって、私たちは悲しい!困る!」とおっしゃっていました。この言葉が本当にしっくり来るなぁと思いました。人をワクワクドキドキさせるブランドはあっても、悲しくさせる困らせるブランドなんてそうそうありません。その礎を築かれた河野さんのお話、とても勉強になりました。
『ソニーのふり観て…』の中にもありましたが、世代交代の話をファッションブランドのデザイナー交代を例にされていたのが分かりやすかったです。確かに好きなブランドのデザイナーが代わると、ファンの身からすると残念な気持ちと同時に期待感がない交ぜになります。今度の若いデザイナーはどんな驚きをもたらしてくれるのかという楽しみと、以前のデザイナーの服はもう手に入らないのだから大切に着ようと思います。世代交代もIR情報としてだけではなく、きちんと個人に伝わるニュースとして発信する必要があるのですね。
懇親会の際に、河野さんに実務的な質問(愚問)ばかりしてしまったのですが、とても丁寧にご自身の経験談を教えていただきました。「結局は人と人だからね」という言葉が印象的です。
ありがとうございました。
■ ソニー退社後に河野氏が取り組まれている内容について、もう少し触れていただきたかった。
■ マーケット・エディケーションという言葉が、非常に印象に残りました。
新しいライフスタイルを提供するときに、どうしても、マーケットクリエーションによってしまいがちな自社を振り返り、
思い込み、クレイジーが基点になっていない商品やサービスを
安易に訴求していることに対して、世に出る前に担保すべきことに気づかされました。
体験のプロセスが長く、分散している弊社で
ひとつの商品に魂を込めるように、みんなのベクトルを揃えていくことは難しいことですが、
ひきつづき「だれか1人をとりこにする」活動に対して、自信が持てました。
右脳社員の生きる道についても、たいへん示唆に富むお話をいただけて感謝しています。
「紙ふぶきを拾う体験」は、戦う理由あってこそですね。
■ ブランドをいかに作っていくか?日々会社で考えている事です。今回の講演をお聴きして、よりブランドを通した顧客体験・顧客視点をもって顧客自身に感じて頂く事がブランドの強化・発展に繋がる事を再認識しました。
社会情勢や消費の実態、また業界の違いや規模の大小等を考えると、
現在も全て同じ事をすれば、ソニーの様に光輝くとは思いません。
しかし、根っこの部分は絶対的である事は間違いないと思います。
メーカー側の様々な思惑が入って来ると、どうしてもこの根っこの部分を最後の花を咲かせて、実をつけさせてという所まで完結出来ていない事が、悪影響を及ぼしている事を認識しないといけないと感じています。
再度、日々の業務に落とし込んでいきたいと考えます。
■ とても面白く、ものすごく刺激的なお話でした。
つまるところ、SONYブランドは盛田さんの思いであるSONYイズムに端を発し、大賀さんに引き継がれ、彼の思いと有能な担当である河野さんの思いとがぶつかりあって、いい塩梅に化学変化を起こした結果、このような強靭なブランドとして育った。と書いてしまえば簡単なようですが、なまじっかなことではこのようなブランドが育つわけがありませんよね。
河野さんと、大賀社長とのすさまじいやり取り、開製販広が一堂に会す地獄の会議など、お話を聞いていてブランドをつくる、磨くことの大変さ、この仕事をやり遂げるには胃がいくつあっても足りないであろうこと、よく理解できました。
今は亡き、スティーブ・ジョブスも商品開発をするにあたって地獄の会議のような事をやっていたと記事で見ました。まず自分の思いを込めて考え抜いた商品の広告を先につくる、そしてその広告にそって製品開発を行っていく、絶対に妥協はしない。という普通の企業のやり方としては、一見真逆で無茶なことのように見えますが、ものすごく正しい。要は、顧客にとって使いやすい、美しい、そして欲しいと思ってもらえることこそ一番重要なこと。技術はその間尺に合わせて開発すればよい。強靭な商品ブランドをつくるという事はある意味、こうゆうことですよね。
最近、政治の世界でも頻繁に出てくる「ぶれない」という言葉。これを守ることの難しさ、人其々、相手あってのことであるし。いい意味での「人たらしの術」を河野さんに教えていただきたいものです。
最後に、熱烈なSONYファンの小生は、SONYの今後が大変気になります。先日、オリンパスとの提携話がニュースとして流れましたが、これはこれとして、我々ファンのためにオーディオビジュアル技術を生かした「全く新たなモノ」でもう一度世界をあっと驚かせて欲しいものです。
■ まずは1960年代の広告のクオリティに驚嘆した。Sony Side Show。この時代にこんな広告をされたのかと。
ソニーのブランドイメージにこだわったソニーは1つである、という考え方は、どの企業にも通じることかと感じた。
それには弱みの克服ではなく、強みの推進を追求していく方を重視した企業戦略。業界内のポジショニングでその強みのトップに立つことを考えていくべきではないかと感じた。
「洒落てて鋭い」
ソニーにはお客さまから素晴らしいブランドコピーをいただいたが、会社のイメージを守っていたからこそ。
生涯顧客とともに成長できる企業を目指していきたい。
■ あれほど頻繁に「バカこけですよ」が使われた本を読んだのは初めてで、 そのあまりのインパクトから河野さんをどこかガラの悪いオジサンをイメージしていましたが、さすが元ソニーのエグゼクティブ、とても紳士的な方でした。
さて、ご著書と講演から学んだことは数多くありますが、特に感じたのは祖業とコア・コンピタンスの意識を常に強く持たないと、SONYと云えどもあっという間に会社が変質し、危うくなってしまうと云うことです。つまり、エレキの革新を通じてライフスタイルの向上に寄与するのがSONYらしさだった。それが、90年代からゲームが稼ぎ頭になり、ハードからソフトに軸足が移る中で、経営がモノづくりよりも数字づくりに執着するようになった。どうしてそうなったかは敢えて書きませんが、ロマンと算盤のバランスは大切ですね。
また、サルのCMなど印象に残る、そして個人的に好きな広告が多い会社ですが、最後にいいなと思ったのは数年前の海外のBRAVIAのもで、これ以来いいなと感じるものが出てきません。広告の要請のほとんどが流通だと考えると、商品が売れない日本ではSONYの面白い広告が生まれないのはある意味当然のことかもしれません。
【本編】
http://www.youtube.com/watch?v=GURvHJNmGrc&feature=player_embedded
【メイキング】
http://www.youtube.com/watch?v=Gz0Zadr0_Kc&playnext=1&list=PLF2164735327BF06C&feature=results_video
最後に、西岡さんの質問にほれぼれしました。いい球(質問)をバッター(講師)に投げれば、ホームラン(名回答)が飛び出す。それも確信的に打たせているさすがの切れ味!先達から大きな刺激を受けた一夜でした。
“,”課題図書方式の難しさは、講師によっては本に書いてある内容とまったく同じことを終始講演で話し、失望されるケースがあります。
しかし、今回は講師のお二人が見事に脚本・構成され完成度の極めて高い講演でした。
懇親会では講師のお二人をお話しするチャンスがなかったので、逆にどんなことを参加者と話していたか気になります。例えばzfacebookで、「こんなことをおっしゃっていた」、「こんな質問をしたらこんな回答があった」を共有できるとありがたいですね。
■ 印象に残ったメッセージ
・ロマネコンティを例に引き、「持ち去れないもの、真似できないものに根源を持つブランドは強い」
・ブランド=現在と未来の差別化
・SONYの歴史は市場創造の歴史
伝統あるブランドを創ってこられた方は、表現は異なりますが、「伝統(=ブランド)とは革新の連続である」ということでしょうか。西岡さんとのやりとりを伺いながら、こんなこと考えてました。
PC98以降のNも同じだったかと。
■お2人の賢人のお話の節々に溢れる生きざまや凝縮された真理に心を揺さぶられました。
本の中に入社間もない頃の宣伝部でのご活躍のくだりがありましたが、純粋なクリエーター気質の方と勝手に想像していたところに、流通も相当意識して、「広告」(「宣伝」)を「販促」のためのツールと捉えられていた事に驚きと同時に僭越ながら親近感を感じました。ブランド=利益の基盤がエマージングカンパニーの根底に流れていた事を体臭とともに感じられるお話でした。
ソニーの歴史は市場創造、市場教育の歴史であり、マーケティングはしなかったと本の中でもご講演の中でもおっしゃってますが、「これを使ってこういう世界が展開できますよ」といった新しいライフスタイルの提案(提供)をする時にその果実が自社ブランドに落ちない事には意味が無い。「広告も製品と考える」とのお言葉が深く腹落ちしました。
「トリニトロン」や「ウオークマン」の広告の変遷のお話ではブランドの価格差を納得してもらうための認知基盤を作る「広告」とダントツの地位(価格差とボリューム差の両立)を作るステージの切り替えにあった裏話にとても感銘を受けました。簡単に書かれてますが、まさに目利きのお仕事と心得ます。
少年の頃、親にねだっても購入がかなわなかった少し高かったSONYブランド。それがゆえに社会人になってから「いつかはクラウン」的に買い揃えていったSONYブランド。SONYブランドが元気であり続ける遺伝子が脈々と受け継がれるものと信じていたであろう信者に対して明確な解を示す難易度は相当なものであった事があらためて理解できましたが、でも何かを期待してしまう。これこそが真のブランドとの絆なんでしょうか?あらためてブランドの意味を深く考えさせられる本当に良いきっかけとなりました。
とはいいながら、マーケティングとブランディングのバランスに対して頭の中がいまだに整理しきれてません。
最近の日経の記事でも平井社長が説明発表会に前の部下からの説明に対して、「商品のスペックではなく、これがあれば何が出来るようになるかをオレは言いたい」といったような内容の話をされたとの記事を拝読し、現在の事業の姿や数字がどうであれ、SONYブランドの遺伝子は継承されているんだなととてもうれしく感じ入りました。
■ 当日のお話にはたくさんの物語があった。そしてその物語には”リアリティ”があり、多くの聞き手が共鳴していたと思う。個人的に一番印象に残ったのは、BMWから大賀さんにプレゼントされたモックアップを河野さんが譲り受けた件。大賀さんの存在感や人となりを、または河野さんとの凄くパーソナルな関係を聞いたとき、聞き手は引き込まれ、間違いなく共鳴していた。
人は物語を聞きたがり、聞いた物語を伝えたがる。そして物語がパーソナルであればあるほど、”リアリティ”が増す。物語は大事なことを後世に引き継ぐための道具であり、そのための手段としてつくられる。その代表例が旧約聖書や論語。
ブランドには必ず心を動かす物語がある。例えばHondaの「The Power of Dreams」。Dreamは本田宗一郎の夢であり、その夢の物語がHondaのDNAとしてしっかりと受け継がれている。一方でソニーはたくさんの物語があり、偉大な先達が掲げてくれた指針があるのに、それが引き継がれず、共鳴する力が社内外に於いて衰退しているように思う。
企業が語り継ぐ物語に、社員を含め多くの人々が共鳴する関係性を構築することがますます大切になるのではないだろうか?
今回のお二人が話された内容のことを、いまだに反芻しています。
(いい意味で)尾を引きます。
■ 講演の内容についての直接的な感想からは離れてしまうかもしれないですが、結局、相手は“人”だということですよね。
誰のために作っているのか、誰のためのサービスなのか。
そんな当たり前のことが、当たり前すぎて見えなくなってくる。
本来の目的をどれだけ見失うことなく、そのために何ができるのか、何をすべきなのか、そしてなによりも、何を“したい”のかを追究してゆく。
当たり前のことを当たり前にやっていくことの大切さと難しさを、改めて考えさせられました。提出が遅れに遅れた挙句に、こんな感想で申し訳ないですが、私自身にとっては、いろいろなことを改めて整理し考える、いいきっかけをいただくことができました。
今回もまた、貴重なお話を聞く機会をいただき、ありがとうございます