片平 秀貴
少し古くなるが、2001年5月11日の日経産業新聞に「僕が作ったステップワゴン;「逆へ逆へ」で個性に磨き」という見出しが躍った。ホンダの2代目ステップワゴンの開発ストーリーだ。開発総責任者竹村宏氏がアウトドアを愛する自分の家族だけに照準を合わせ細部までこだわった結果、氏と同世代の家族を中心に大受けしているというのだ。なるべく多くの人の声を調査で吸い上げてというのがマーケティングの定石だとすると、それに対して「逆へ逆へ」というわけである。
自分が顧客になる
このホンダの例に端的に示されているように、上の3つのケースはいずれも「顧客の声に耳を傾ける」という従来のマーケティングの定石に逆らって成功した例である。こう書くと定石の方が正統に聞こえるが、実は上の例に限らず、多くの成功したイノベーションは顧客の声を聞いて生まれたものではないことに気がつく。顧客の声を満遍なく聞くという米国生まれの手法は、顧客に新鮮な驚きを届けるという点から見ると凡人の浅知恵に過ぎないと言ったら言いすぎだろうか。
当然のことながら、どんなに顧客の声に耳を傾けても、顧客が表現しきれない将来の潜在的なニーズやウォンツは分からない。これは「私マーケター、あなた顧客」という図式の限界である。では、「えー、こんなことあったんだ、うれしい」といった快い驚きと感動を生むためにはどうしたらいいのか。このしくみについては、現場の知恵としては一部でおぼろげには認識されていたようではあるが、「顧客の声を聞くべし」というものに対抗するような明確なパラダイムが提示されていた訳ではない。
筆者は、1996年から現在に至るまでナイキ、メルセデスベンツ、ディズニー、ネスレといったブランドの経営者たちにインタビューし、国内では丸の内ブランドフォーラム(www.akjpn.com/mbf/)という勉強会でヤマト、ホンダ、伊東屋、資生堂、ビームス等の各社から経営者の方々をお招きしてお話を伺って来た。この方々に共通するのは、一貫した理念の下に絶え間ない革新を発信し強いブランドをつくってきたという点である。顧客との関係という点で彼らの話に共通するのは、顧客の声に応えるという姿勢をとらないことである。さらに突き詰めていくと、「自分たち自身が顧客になって他の顧客を超える」という基本姿勢が見えてくる。この思想を筆者たちは、顧客を「超える」という意味で「超顧客主義」と呼んでいる(詳しくは片平秀貴、古川一郎、阿部誠著『超顧客主義:顧客を超える経営者たちに学ぶ』東洋経済新報社、参照 図1)。
大人と幼児
では、この超顧客主義がなぜ、顧客が歓喜する革新を生むのだろうか。まず、顧客が驚き、感動するためには、顧客がいまだ体験したことのないうれしいことを体験させなければならない。これはとんでもなく困難なように見えるが、大人が幼児を驚かせることを考えると、どうしたらよいかが分かる。図2にあるように、一般に大人の感激体験と幼児のそれとは比較にならないほど差があり、その差分の中から何か差し出せば幼児は間違いなく驚く。ちょっと考えただけでも「乗ったことのない飛行機に乗せる」、「行ったことのないディズニーランドに連れて行く」などで十分なはずである。マーケターは常に顧客に対してこの「大人対幼児」の図式を維持していけばよいというわけである。顧客を超えるという意味がそこにある。
顧客を超えたマーケターが、自分が内発的に欲しいと思うもの、すなわち自分の夢をかたちにして発信すれば顧客は驚き、喜び、感動する。この「自分が内発的に」、というところが2重の意味で重要である。まず、体験を積んだマーケターの生身の夢は厳格かつ精確であり、驚くほど情報量が豊富である。氷結を開発した佐藤氏が「レジに持っていって恥ずかしくない」と言うとき、それには色からデザイン、商品のたたずまいにいたるまで数百ページの仕様書でも表現できない厚みがある。また、その夢から、「出張帰りの新幹線で飲みたい」、「ちょっと気取ってシャンパンの代わりに」という別の夢が有機的かつ連鎖的に出てくるところは、顧客の声を聞く式のアプローチでは真似できないところである。
楽しく、厳しく、忙しく
自分が欲しいものをつくることのもう一つの利点は、これが顧客だけでなく社員をも幸せにすることである。筆者は最近強いブランドをつくった企業の社員は「楽しく、厳しく、忙しく」働いていることに気づいた。楽しく働く基本は、自分の内発的欲求からアイデアを出し、それを実行する機会が与えられ、良くも悪くもその結果が目の前に示されることである。厳しく結果が問われるので自発的に自然と忙しくなるというわけである。超顧客主義は手を挙げた社員に、まさにそのような機会を提供する。ホンダの吉野浩行前社長は、「皆4つか5つの夢を会社に持ってきなさい。そうすればそのうちの一つくらいは会社で実現させてあげられる」と言う。
幸いなことに、顧客に一番近い社員に手を挙げさせて開発を任せるという動きが最近少しずつではあるが目に付くようになってきた。セイコーエプソンが4月23日に発表する女性と家庭をターゲットとした写真用プリンター「カラリオme」が20代、30代の女性だけ13人のチームで開発された(フジサンケイビジネスアイ2004年3月17日)、というのはそのいい例である。マーケティングの世界では、顧客を深く理解するという意味の「カスタマー・インサイト」という考え方が広まりつつあるが、私はそれよりも「カスタマー・インサイド(頭の中は顧客;すなわち超顧客主義)だ」と言って海外の経営者たちの一部に支持されている。超顧客主義が日本発のマーケティングの「型」として国内外で定着する日が来ることを祈りたい。
(この文章は2004年4月13日付の日経MJに掲載されたものに、加筆・修正したものです。2004年4月にアップロードされました。著作権は著者にあります。)
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