片平秀貴
顧客のクチコミや愛着心が時代を引っ張る潮流を巻き起こしたり、話題の強いブランドを生んだりする――たしかに即効性には欠けるかもしれないが、反面、力強く・ロイヤリティの高いそんなマーケティング手法がいま注目されている。「感動」がキーワード。次第に明らかになりつつあるAIDEESの真の姿とはこれだった。
購入させた後を考えていなかったAIDMA
AIDMA――米国から輸入され、日本企業のマーケティング関係者の間でも当たり前のように使われてきたマーケティング用語である。認知させ(Attention)、感心を持たせ(Interest)、欲求を掘り起こし(Desire)、記憶させ(Memory)、最終的に消費行動を起こさせる(Action)。5つの段階に消費者の心理プロセスを分ける考え方がすっかり浸透し、紹介以来、多くのビジネスマンはこれを前提に企画を出し合い、戦略を練ってきた。便利な共通認識の存在が、議論の進行と意思の疎通をスムーズにしてきたのだ。
そしていま、そのAIDMAに代わる新しいキーワード、AIDEESが話題になっている。提唱したのは、元東京大学大学院経済学研究科教授で丸の内ブランドフォーラム代表の片平秀貴氏である。
「AIDMAにおける最後の『A』はAction(購入)ですが、これは販売する側からの視点です。『買ってください』という、ある意味では一方的な考え方だった。そこでAIDEESには、ActionではなくExperience(経験)を組み入れました。消費者にとって本当に重要なのは買うことではなくて、買った後に使ってみたり、食べたり、鑑賞するによってうれしくなれるかどうかですからね」
AIDMAのプロセスは、商品購入の時点で終了してしまう。商品を発売し、目論見通りにそれが売れたら、あとは顧客がどうしようと関知しないというスタンスである。利益が上がったらそれを続け、そうでなければまた別のターゲットを探してさらに新しい商品を投入する。極端にいってしまえば、多くの日本企業にとって、その繰り返しこそがビジネスそのものだった。
「購買の時点が本来のスタートなのではないかと考えたのです。Experienceの次に配置したEnthusiasmは、直訳すれば“熱狂”になりますが、Experienceの結果引き起こされる感情すべてを指しています。その商品によって買い手が熱狂したにせよ落胆したにせよ、その反応をしっかりと認識する必要があるということです。インターネットが普及した今では『本当にうれしい』とか『本当に悔しい』などという感情は、ものすごいスピードで広まっていきますからね。AIDEESの最後にShare(推奨)を持ってきたのはそういう意味なんです」
AIDEESの神髄は、ここにある。Attention、Interest、Desireまでは従来のAIDMAに倣っているが、Experience、EnthusiasmをたどってShareに到達すると、再びDesireへと戻るのである。軌道に乗れば、以降はDEESの循環が永く続くこととなる。また、本当にうれしいと感じた顧客は、自分の周りにいる消費者の注目を喚起してその人のAIDEESプロセスを点火するのである。
感動した顧客が無償で企業の宣伝部員になる
片平氏がAIDEESの理論を発表したのは、昨年の12月。以来、数々のセミナーやシンポジウムでビジネスマンを相手に発信を続けている。多数の賛同を得たと語る同氏だが、しかし同時に、この考えがすべてのビジネスマンがすぐには受け入れられるものではないということを実感したという。
「『理屈は分かるんだけど、そんな悠長なこといっていたら…』という人は、やはり多いですね。AIDEESのプロセスで成果を出すためには、時間が掛かります。初めのお客さんを大切にし、後ろに隠れている何十倍、何百倍もの新規顧客が出て来てくれるのを待たなければならないですから」
AIDMAのイデオロギーに支配されたマーケティングにおいては、今年度の数字、今月の数字、今日の数字が非常に大きな存在感を持っている。そのためビジネスマンたちは、商品を買ってくれた消費者を一度放っておき、まだ買ってくれていない消費者を振り向かせることに腐心することになる。その方が、明日の数字に繋がりやすいからだ。
「しかし、捕まえやすい消費者というのは、AでもBでもどっちでもいいという人たちです。ちょっと値段が安いなど有利な条件を出すとすぐ寄ってきてくれますが、逆にいえば、まったく同じ方法で簡単に離れていってしまうお客さんでもあるんです。このままでは、永遠に取り合いを続けていかなくてはならないことになります」
それに対して、AIDEESが軌道に乗ると、企業や商品に心酔した顧客が自発的に営業部員や宣伝部員になってくれる。消費者の心を動かせば、情報の流れが自然に加速されるというわけだ。Actionで終わる直線を何本も書き直すのではなく、途切れることのないスパイラルを描き続ける。これが、新しい時代のブランドづくりなのである。
どんなものでもクチコミで流通する時代へ
「私も最近、ネット検索で『AIDEES』が大量にヒットしたのをみてじつは大いに驚いたんです。講演で私の話を直接届けることができたのは、わずか150名程度。それなのにここまで広まったのは、そこに分かりやすい名前があって、コンセプトがハッキリしていて、なおかつ人の心を動かせたからからだと感じましたね。まさに、AIDEES自体がAIEESのプロセスに乗って広がっているということですね」
インターネットのない時代にも、クチコミという仕組みはあった。しかしネットの登場によって、伝播するスピードと広さは何倍にもスケールアップした。また、アテンションさえ与えれば消費者が自力で調べることもできるため、クチコミが流通させるモノの種類も格段に拡がっている。
「例えば、東海バネ工業は、バネを1個からオーダーメイドすることで自社のブランド化を推進しています。1トン単位で取引するのが当たり前だったバネの業界では、価格で競争する以外にはなかなか他社との差別化ができなかった。そこに『1本からでもあなたのニーズにぴったりなバネを作りましょう』というメッセージを掲げたのです」
その噂を聞いた消費者がサイトをチェックすれば、世界に誇れる高度な技術を持っていることも分かる。こうして、顧客の心を動かしていったわけだ。
「栄養食品業界も、特に通販の分野では価格以外のメリットを見い出しにくかった。香醋などで知られるやずやは、『やずやにしか見つけられないものを、みんなのために提供します』というアピールをしっかり伝えている。印象的なTVCMの効果もあると思いますが、そのアテンションをベースに、実際に使ってみた消費者の実感がクチコミで広まった結果、1000億円規模の業績を上げるまで成長したのです」
東海バネ工業にしてもやずやにしても、既存顧客をいかに感動させるかを考えている。一見遠回りに見えても、それは新規顧客を獲得するためにとても理に適った手段なのだ。
「感動した顧客は、他人に教えたくなる。教えられた人も感動する。そして、また別の人に教える。また、一度感動した人は、その感動を何度でも味わいたいから自らも再び買う。その感動体験が、消費者の頭の中に刻まれる。これが、ブランドができるということなんです。『バネなら東海バネ』『香醋ならやずや』と言わしめる状態は、このようなプロセスを経て初めて生まれるものなのです」
ビジネスとは人が人を幸せにすること
AIDEESモデルの効果を証明する例として、片平氏は米国の化粧品会社オリジンズの名を挙げる。
「オリジンズは、マスメディアを使わずにネットのクチコミだけで成長した企業の代表です。大々的に宣伝せず、自然派の化粧品を好む限られた層に思い入れを持たせるというマーケティングを採用しました。目先の利益を追うのではなく、じっくりと確実にブランドを構築していったのです」
米国には、こうしたマーケティング専門のコンサルタントも存在しているという。ハードディスクレコーダーなどの進化によってTVCMの効果が疑問視されるようになった今日では、大きな注目を集める存在になりつつあるという。
「もちろん、以前からこうした戦略を当たり前として実践している企業も多く存在します。ナイキやハーレーダビッドソンの顧客は、心底ナイキがカッコいいと思っているし、ハーレー以外には乗りたくないと考えている。ヨーロッパはもっと浸透していて、グッチやダンヒルにAIDEESを説明したら、そんなのは当前だというに違いない。アルマーニなどは、ポルトガルでもポーランドでもロシアでも新しい場所に進出すれば業績をいくらでも伸ばしていけると公言していますが、それでも『アルマーニだから買うんだ』と本当に理解してくれる消費者のいる街でないと出店しません。このような考えも、ヨーロッパでは特別なものではないのです」
では、日本にこの理論が浸透する日はいつやって来るのだろう。
「確かに、じわじわと芽は出てきています。もし10年前に私がAIDEESを提唱したとしても、納得してくれる人はほとんどいなかったでしょう」
AIDMAのノウハウを追求してきた企業が、それで幸せになったかというと疑問がAIDEESにつながった。次々とターゲットを変えてその度にゼロからスタートする消耗戦の連続では、いくら勝ち続けていたとしても企業は疲れ果ててしまうだろう。ならばどうしたらいいのか。それを模索する中で、顧客と企業のWinWin関係を築けるAIDEESに注目する企業が増えてくれればいい。片平氏は、そう考える。
「企業が消費者を感動させる。その感動が、消費者の間でシェアされる。喜ぶ消費者の顔を見て企業が感動する。つまり、ビジネスとは人が人を幸せにする永続的なしくみを築くことことなのです」
(実例1)東海バネ工業
1トン単位で取引するのが当たり前だったバネ業界にあって、1個からのオーダーメイドを受け付けている。ウェブサイトには会社案内や納入実績のみならず、バネの雑学や職人からのメッセージなどを掲載。掲示板では、消費者からの質問に職人が丁寧に回答している。
(実例2)やずや
福岡市の栄養食品会社。本物がゆえに埋もれてしまっている商品を探し出し、その商品に光を当てて紹介。代理店や小売店を通さない通信販売で、企業の顔が見えるセールスを標榜している。インターネットを利用しない高齢層をもターゲットとしながら、クチコミによる顧客獲得率も高いという。
(実例3)ORIGINS
皮膚科学に基づいたテクノロジーを駆使し、自然界に存在する植物などのネイチャーパワーを製品に活かしている。宣伝は、マスメディアに広告を出さず、当初からネットのクチコミだけを利用する戦略。初期に獲得した消費者の感動がネットを通じて広まり、以後、根強いファンを増やし続けている。
(この記事はDiamond Visionary 2006年7月号に掲載された記事を元としています。)
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